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私の書に就ての追憶
わたしのしょについてのついおく
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆64 書」 作品社
1988(昭和63)年2月20日
入力者渡邉つよし
校正者門田裕志
公開 / 更新2001-09-20 / 2014-09-17
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 東京の西郊に私の実家が在つた。母屋の東側の庭にある大銀杏の根方を飛石づたひに廻つて行くと私の居室である。四畳半の茶室風の間が二つ連なつて、一つには私の養育母がゐた。彼女はもう五十を越してゐたが、宮仕へをした女だけあつて挙措が折目正しく、また相当なインテリでもあつて、日本古典の書物の外に、漢詩とか、支那の歴史ものを読んでゐた。字も漢字風に固い字を書いた。当時五歳の私に彼女は源氏物語の桐壺の巻を「何れの御時にか、女御更衣数多侍ひ給ひける中に……」と読ませて、私は何の意味も判らないながら、養育母兼家庭教師である彼女の字に真似て実語経の一節や、万葉集の歌を万葉仮名で書き始めた。私は字を書くことに段[#挿絵]興味を持つて行つた。
 小学校へ上ると、私は習字の先生の字を注目した。その先生の字は、上級生の間では、奇麗で上手だといふ評判だつた。だが、私の目には何の感動も与へず、つまらないものに見えたので、私は却つて不思議に先生の字を気にした。何と批評していいのか、その当時の私は幼くて言ふことを知らなかつたが、今に回顧してみて奇麗でも何だか薄つぺらな字といふ感じであつて、それまで養育母に就て二三年間も固い字ばかり書いてゐた私は、全く感じの違つた字に逢つて戸惑ひしたらしかつた。
 私はその先生から「漢字はとても立派ですが、仮名は固すぎます……字をそんなに大きく紙一ぱいに書くものではありません」と何度も注意された。私はいつも大きな字を書いてゐた。
 兄弟が無かつたので、正月の書初めは母屋の胴の間の鴨居から、品評会のやうに貼り下げられた。私のものは矢張り大きな漢字であつた。習字の先生が年賀に越されて、私の書初めを眺めながら「かう漢字ばかりでは私のなほしてあげるところはありませんね」と言つて、何だか私を手に負えない者のやうに見て困つた顔をして笑はれた。私は幾分得意のやうでもあつたがそれよりも、何処か人と合はない傾向を自分自身に気付いて、それを淋しいものと思つた。
 そのやうな字の傾向は、確かに年少の私が字を習ひ始めに養育母がその緒を与へたからだと言へば言へるが、私自身の生れつきにも原因があつた。今に至るも私は不器用で、物ごとをすら/\運ぶことが出来ない性質である。世の多くの人[#挿絵]は経験を積むことによつて着[#挿絵]熟練上達し、同じことをなすには無意識でも反射的に手際よくすることが出来る。ところが、私は、幾度同じことを繰返しても、その都度、全く新奇なことにぶつかつたやうに思へて、全意識を傾倒しなければならない。だから私には、物ごとを経験熟練により反射的に手早く取片づけることは出来ないのである。字もまた、幾度習つても前と決して同じやうな字がすら/\書けない。私は仮名まで漢字を使つてしかつめらしい字を書いた。
 それとまた、幼女時代、はにかみ屋で、控へ目勝ちだつた私は、異常に無口で…

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