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脳の中の麗人
のうのなかのれいじん
作品ID3237
著者海野 十三
文字遣い新字新仮名
底本 「海野十三全集 第7巻 地球要塞」 株式会社三一書房
初出「日の出」1939(昭和14)年8月号
入力者tatsuki
校正者浅原庸子
公開 / 更新2003-03-20 / 2014-09-17
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

   奇異の患者


「ねえ、博士。宮川さんは、いよいよ明日、退院させるのでございますか」
「そうだ、明日退院だ。それがどうかしたというのかね、婦長」
「あんな状態で、退院させてもいいものでございましょうかしら」
「どうも仕方がないさ。いつまで病院にいても、おなじことだよ。とにかく傷も癒ったし、元気もついたし、それにあのとおり退院したがって暴れたりするくらいだから、退院させてやった方がいいと思う」
「そうでしょうか。わたくしは気がかりでなりませんのよ」
「婦長。君は儂のやった大脳移植手術を信用しないというのかね」
「いえ、そんなことはございませんけれど……」
「ございませんけれど? ございませんが、どうしたというのかね」
「いいえ、どうもいたしませんが、ただなんとなく、宮川さんを病院の外に出すことが心配なんですの。なにかこう、予想もしなかったような恐ろしい事が起りそうで」
「じゃやっぱり君は、儂の手術を信用しとらんのじゃないか。まあそれはそれとしておいて、とにかく儂は宮川氏を退院させたからといって、後は知らないというのじゃない。一週間に一度は、宮川氏を診察することになっているのだ」
「まあ、そうでございましたか。博士が今後も診察をおつづけになるのなら、わたくしの心配もたいへん減ります。ですけれど、いまお話の今後の診察の件については、わたくし、まだちっとも伺っておりませんでした」
「それはそのはずだ。診察をするといっても、患者を診察室によびいれて診察するのではない。宮川氏は、診察されるのは大きらいなんだ。逆らえば、せっかく手術した大脳に、よくない影響を与えるだろう。逆らうことが、あの手術の予後を一等わるくするのだ。だから儂は、すくなくとも毎週一度は、宮川氏の様子を遠方から、それとなく観察するつもりだ。それが儂のいまいった診察なんだ。このことは当人宮川氏にも、また病院内の誰彼にも話してない秘密なんだから、そのつもりでいるように」
 黒木博士と看護婦長との会話にあらわれた問題の患者宮川宇多郎氏は、わが身の上にこんな気がかりな話があるとはしるよしもなく、病室内を動物園の狼のように歩きまわっている。
 彼は今朝、病院内の理髪屋で、のびきった髪を短く刈り、蓬々の髭をきれいに剃りおとし、すっかり若がえった。だが、鏡に顔をうつしていると、久しく陽に当らなかったせいか、妙に蒼ぶくれているのが気になった。それにひきかえ、後頭部の手術の痕は、ほとんど見えない。これは手術に電気メスを使うようになって、厚い皮膚でも、逞しい肉塊でも、それからまた硬い骨でも、まるでナイフで紙を裂くように簡単に切開できるせいだった。よく気をつけてみると、毛髪の下の皮膚が、うすく襞状になっているのが見えないこともないが、それが見えたとて、誰もそれを傷痕と思う者がないであろう。じつにおどろくべき手術の進歩だ。…

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