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絵本の春
えほんのはる
作品ID3245
著者泉 鏡花
文字遣い新字新仮名
底本 「泉鏡花集成8」 ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年5月23日
初出「文藝春秋 第四年第一號」1926(大正15)年1月
入力者本山智子
校正者門田裕志
公開 / 更新2001-06-25 / 2014-09-17
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 もとの邸町の、荒果てた土塀が今もそのままになっている。……雪が消えて、まだ間もない、乾いたばかりの――山国で――石のごつごつした狭い小路が、霞みながら一条煙のように、ぼっと黄昏れて行く。
 弥生の末から、ちっとずつの遅速はあっても、花は一時に咲くので、その一ならびの塀の内に、桃、紅梅、椿も桜も、あるいは満開に、あるいは初々しい花に、色香を装っている。石垣の草には、蕗の薹も萌えていよう。特に桃の花を真先に挙げたのは、むかしこの一廓は桃の組といった組屋敷だった、と聞くからである。その樹の名木も、まだそっちこちに残っていて麗に咲いたのが……こう目に見えるようで、それがまたいかにも寂しい。
 二条ばかりも重って、美しい婦の虐げられた――旧藩の頃にはどこでもあり来りだが――伝説があるからで。
 通道というでもなし、花はこの近処に名所さえあるから、わざとこんな裏小路を捜るものはない。日中もほとんど人通りはない。妙齢の娘でも見えようものなら、白昼といえども、それは崩れた土塀から影を顕わしたと、人を驚かすであろう。
 その癖、妙な事は、いま頃の日の暮方は、その名所の山へ、絡繹として、花見、遊山に出掛けるのが、この前通りの、優しい大川の小橋を渡って、ぞろぞろと帰って来る、男は膚脱ぎになって、手をぐたりとのめり、女が媚かしい友染の褄端折で、啣楊枝をした酔払まじりの、浮かれ浮かれた人数が、前後に揃って、この小路をぞろぞろ通るように思われる……まだその上に、小橋を渡る跫音が、左右の土塀へ、そこを蹈むように、とろとろと響いて、しかもそれが手に取るように聞こえるのである。
 ――このお話をすると、いまでも私は、まざまざとその景色が目に浮ぶ。――
 ところで、いま言った古小路は、私の家から十町余りも離れていて、縁で視めても、二階から伸上っても、それに……地方の事だから、板葺屋根へ上って[#挿絵]しても、実は建連った賑な町家に隔てられて、その方角には、橋はもとよりの事、川の流も見えないし、小路などは、たとい見えても、松杉の立木一本にもかくれてしまう。……第一見えそうな位置でもないのに――いま言った黄昏になる頃は、いつも、窓にも縁にも一杯の、川向うの山ばかりか、我が家の町も、門も、欄干も、襖も、居る畳も、ああああ我が影も、朦朧と見えなくなって、国中、町中にただ一条、その桃の古小路ばかりが、漫々として波の静な蒼海に、船脚を曳いたように見える。見えつつ、面白そうな花見がえりが、ぞろぞろ橋を渡る跫音が、約束通り、とととと、どど、ごろごろと、且つ乱れてそこへ響く。……幽に人声――女らしいのも、ほほほ、と聞こえると、緋桃がぱッと色に乱れて、夕暮の桜もはらはらと散りかかる。……

 直接に、そぞろにそこへ行き、小路へ入ると、寂しがって、気味を悪がって、誰も通らぬ、更に人影はないのであった。
 気勢はし…

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