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疲労
ひろう
作品ID325
著者国木田 独歩
文字遣い新字新仮名
底本 「号外・少年の悲哀 他六篇」 岩波文庫、岩波書店
1939(昭和14)年4月17日、1960(昭和35)年1月25日 第14刷改版
初出「趣味」1907(明治40)年6月
入力者紅邪鬼
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2000-07-10 / 2014-09-17
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 京橋区三十間堀に大来館という宿屋がある、まず上等の部類で客はみな紳士紳商、電話は客用と店用と二種かけているくらいで、年じゅう十二三人から三十人までの客があるとの事。
 ある年の五月半ばごろである。帳場にすわっておる番頭の一人が通りがかりの女中を呼んで、
「お清さん、これを大森さんのとこへ持っていって、このかたが先ほど見えましたがお留守だと言って断わりましたって……」
と一枚の小形の名刺を渡した。お清はそれを受けとって梯子段を上がった。
 午後二時ごろで、たいがいの客は実際不在であるから家内しんとしてきわめて静かである。中庭の青桐の若葉の影が拭きぬいた廊下に映ってぴかぴか光っている。
 北の八番の唐紙をすっとあけると中に二人。一人は主人の大森亀之助。一人は正午前から来ている客である。大森は机に向かって電報用紙に万年筆で電文をしたためているところ、客は上着を脱いでチョッキ一つになり、しきりに書類を調べているところ、煙草盆には埃及煙草の吸いがらがくしゃくしゃに突きこんである。
 大森は名刺を受けとってお清の口上をみなまで聞かず、
「オイ君、中西が来た!」
「そしてどうした?」
「いま君が聞いたとおりサ、留守だと言って帰したのだ。」
「そいつは弱った。」
「彼奴一週間後でなければ上京られないと言って来たから、帳場に彼奴のことを言っておかなかったのだ。まアいいサ、上京て来てくれたに越したことはない。これから二人で出かけよう。」
 頭の少しはげた、でっぷりとふとった客は「ウン」と言ったぎり黄金縁めがねの中で細い目をぱちつかして、鼻下のまっ黒なひげを右手でひねくりながら考えている。それを見て大森は煙草を取って煙草盆をつつきながら静かに、
「それとも呼ぼうか?」
「まア、そのほうがいいな。こっちが彼奴ばかりに頼っているように思われるのは、ばかげているからな。」
 大森は「ちょっと」と言って、一口吸った煙草を灰に突っこみ、机に向かって急いで電文を書き終わり、今までぼんやり控えていたお清にそれを渡して、
「すぐ出さしておくれ。」
 お清は座敷を出た。大森はまた煙草を取って、
「それもそうだ、あの先生、りこうでいてばかだから、あまりこっちで騒ぐとすぐ高く止まって、素直に承知することもわざとぐずりたがるからね。」
「それでいてこっちで少し大きく出るとまたすぐおこるのだ。始末にいけない。」と客に言って大あくびを一ツして「とにかく呼ぶとしようじゃアないか。」
「いつ呼ぼう?」と言って、これももらいあくびをした。
「今夜はどうだ。今呼んだって彼奴宿にいやアしない。」
 大森は机の上の黄金時計をのぞいて、
「二時四十分か。今はとてもいない。しかし」とまた時計をのぞいて、少し考えて「あすの朝早くしようじゃアないか。中西が来たとなれば、僕はこれから駿河台の大将に会っておくほうがいいと思う。」…

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