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怠惰屋の弟子入り
なまけやのでしいり
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「国木田独歩全集 第四巻」 学習研究社
1966(昭和41)年2月10日
入力者小林徹
校正者柳沢成雄
公開 / 更新1999-02-09 / 2014-09-17
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 亞弗利加洲にアルゼリヤといふ國がある、凡そ世界中此國の人ほど怠惰者はないので、それといふのも畢竟は熱帶地方のことゆえ檸檬や、橙の花咲き亂れて其得ならぬ香四方に立ちこめ、これに觸れる人は自から睡眠を催ふすほどの、だらりとした心地の好い土地柄の故でもあらう。
 處が此アルゼリヤ國の中でブリダアといふ市府の人は分ても怠惰ることが好き、道樂をして日を送ることが好きといふ次第である。
 佛蘭西人が未だアルゼリヤを犯さない數年前に此ブリダアの市にラクダルといふ人が住んで居たが、これは又た大した豪物で、ブリダアの人々から『怠惰屋』といふ綽名を取つて居た漢、この漢と比て見ると流石のブリダアの市人も餘程の勤勉の民と言はんければならない、何にしろラクダルの豪い證據は『怠惰屋』といふ一個の屋號を作つて了つたのでも了解る、綉工とか珈琲屋とか、香料問屋とか、それ/″\所の名物の商業がある中に、ラクダルは怠惰屋で立つて居たのである。
 抑も此男は父の死だ後、市街外れに在る小さな莊園を承嗣だので、此莊園こそ怠惰屋の店とも謂つべく、其白い壁は年古て崩れ落ち、蔦葛思ふがまゝに這纏ふた門は年中開つ放しで閉たことなく、無花果や芭蕉が苔むす泉のほとりに生茂つて居るのである。此莊園でラクダルはゴロリと轉がつたまゝ身動もろくに爲ず、手足をダラリ伸したまゝ一言も口を開かず、たゞ茫乎と日がな一日、年から年中、時を送つて居るのである。
 赤蟻は彼のモヂヤ/\した髯の中を草場かと心得て駈け廻るといふ行體。腹が空て來ると、手を伸して手の屆く處に實て居る無花果か芭蕉の實を捩つて食ふ、若し起上つて捩らなければならぬなら飢餓て死だかも知れないが、幸にして一人では食ひきれぬ程の實が房々と實つて居るので其憂もなく、熟過[#ルビの「つえ」に「ママ」の注記]た實がぼて/\と地に落ちて蟻の餌となり、小鳥の群は枝から枝を飛び廻つて思ひのまゝ木實を啄んでも叱り手がないといふ次第であつた。
 先づ斯ういふ風な處からラクダルの怠惰屋は國内一般の評判ものとなり、人々は何時この漢を仙人の一人にして了ひ、女は此庄園の傍を通る時など被面衣の下でコソ/\と噂してゆく、男の中には脱帽して通るものすらあつた。
 けれど小供こそ眞の審判官で、小供の眼にはたゞ變物の一人としか見えない。嬲物にして慰さむに丁度可い男としか見えない。であるから學校の歸途には大勢が其崩れ落た壁に這いのぼつてワイ/\と騒ぐ、手を拍つやら、囃すやら、甚だしきは蜜柑の皮を投げつけなどして揄揶うのである。けれども何の效果もない。怠惰屋は決して起き上らない、たゞ一度、草の臥床の中から間の拔けた聲を張上げて
『見て居ろ! 起きてゆくから!』
と怒鳴つたことがある。然し遂に起きあがらなかつた。
 處が或日のこと、やはり學校の歸途に庄園の壁の上でラクダルを揄揶つて居た少年の中に、何と思つた…

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