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婦人デーとひな祭
ふじんデーとひなまつり
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十五巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年5月20日
初出「宮本百合子」岩崎書店、1951(昭和26)年5月発行
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-09-29 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 婦人デーといえば、三月八日と誰でも知っていることではあるが、そのおこりは、どういうところからはじまったのだろう。
 婦人デーのきっかけとなった事件は、一九〇四年三月八日ニューヨーク市の東区の社会主義婦人同盟の人たちが、婦人参政権を要求して立ったことだった。資本主義の国々では、ニューヨークでも、ロンドンでも、イースト・サイドといえば、西区の上流区域とはちがって労働者、外国移民、猶太人などの住む、より貧しいより生活の苦しい区画とされている。東京で麹町と江東地区との生活にちがいがあるとおりである。
 一九一〇年といえば、日本の明治四十三年、いわゆる「大逆事件」で幸徳秋水以下三十余名の人々が検挙され、ファーブルの『昆虫の社会』という本まで社会という字がついていると云って発禁されるような、日本の社会主義弾圧のもとに暴力的な日韓合併が行われた年であった。この一九一〇年にコペンハーゲンで第二インターナショナルの大会がひらかれた。ドイツ代表としてそこに出席していたクララ・ツェトキンの提案で、三月八日という日を国際婦人デーとすることに決議された。二十三ヵ国から八百九十名の代表が出席したこの大会できめられた国際婦人デーは、その後多くの国々で毎年行われて来た。一九一七年の三月八日には、そのころペトログラードとよばれていたいまのレーニングラードの婦人紡績労働者たちが「パンを与えよ。戦地から夫をかえせ」とデモを行って、ロシアのプロレタリア革命への口火となった二月の革命ののろしをあげた。

 第二次大戦ののちは一九四五年十一月、国際民主婦人連盟が各国の婦人デーの意義をうけついで、世界平和の確保と民族の自立、婦人・子供の生活を守ってファシズムと戦争挑発とたたかう仕事をはじめている。
 この国際民主婦人連盟には、四十九ヵ国八千万人以上の婦人たちが参加していて、すでに二回国際大会をもっている。一九四九年十二月に北京でひらかれたアジア婦人会議は、国際民主婦人連盟第二回大会で決定されたのだった。
 日本でも戦後ふたたび婦人デーが行われるようになったけれども、それについて、わたしたちは奇妙な経験をしている。一九四六年の婦人デーは、世界のどこの国とも同じ三月八日にすらりと行われたけれども、もう次の年になると、日本の婦人デーは、三月八日にするのはおかしい。三月八日の婦人デーは共産主義の考えかたから出発しているものであるから四月十日、日本の婦人が参政権を得た日を記念して、日本の婦人デーとするべきであるという声をおこした。なぜ、声をおこした、という云いかたをするのが正しいかと云えば、それは、日本の働く婦人大衆の間から自然にうまれた声ではなくて、日本の労働者階級のすべての問題、人民の真の民主化にかかわりをもつあらゆる問題を、なるたけ国際的に前進している行進の例からひきはなして、日本として、独自に、支配し、…

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