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平凡
へいぼん
作品ID3310
著者二葉亭 四迷
文字遣い新字新仮名
底本 「平凡・私は懐疑派だ」 講談社 講談社文芸文庫
1997(平成9)年12月10日
入力者砂場清隆
校正者松永正敏
公開 / 更新2003-01-21 / 2014-09-17
長さの目安約 165 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

          一

 私は今年三十九になる。人世五十が通相場なら、まだ今日明日穴へ入ろうとも思わぬが、しかし未来は長いようでも短いものだ。過去って了えば実に呆気ない。まだまだと云ってる中にいつしか此世の隙が明いて、もうおさらばという時節が来る。其時になって幾ら足掻いたって藻掻いたって追付かない。覚悟をするなら今の中だ。
 いや、しかし私も老込んだ。三十九には老込みようがチト早過ぎるという人も有ろうが、気の持方は年よりも老けた方が好い。それだと無難だ。
 如何して此様な老人じみた心持になったものか知らぬが、強ち苦労をして来た所為では有るまい。私位の苦労は誰でもしている。尤も苦労しても一向苦労に負げぬ何時迄も元気な人もある。或は苦労が上辷りをして心に浸みないように、何時迄も稚気の失せぬお坊さん質の人もあるが、大抵は皆私のように苦労に負げて、年よりは老込んで、意久地なく所帯染みて了い、役所の帰りに鮭を二切竹の皮に包んで提げて来る気になる、それが普通だと、まあ、思って自ら慰めている。
 もう斯うなると前途が見え透く。もう如何様に藻掻たとて駄目だと思う。残念と思わぬではないが、思ったとて仕方がない。それよりは其隙で内職の賃訳の一枚も余計にして、もう、これ、冬が近いから、家内中に綿入れの一枚も引張らせる算段を為なければならぬ。
 もう私は大した慾もない。どうか忰が中学を卒業する迄首尾よく役所を勤めて居たい、其迄に小金の少しも溜めて、いつ何時私に如何な事が有っても、妻子が路頭に迷わぬ程にして置きたいと思うだけだが、それが果して出来るものやら、出来ぬものやら、甚だ覚束ないので心細い……
 が、考えると、昔は斯うではなかった。人並に血気は壮だったから、我より先に生れた者が、十年二十年世の塩を踏むと、百人が九十九人まで、皆じめじめと所帯染みて了うのを見て、意久地の無い奴等だ。そんな平凡な生活をする位なら、寧そ首でも縊って死ン了え、などと蔭では嘲けったものだったが、嘲けっている中に、自分もいつしか所帯染みて、人に嘲けられる身の上になって了った。
 こうなって見ると、浮世は夢の如しとは能く言ったものだと熟々思う。成程人の一生は夢で、而も夢中に夢とは思わない、覚めて後其と気が附く。気が附いた時には、夢はもう我を去って、千里万里を相隔てている。もう如何する事も出来ぬ。
 もう十年早く気が附いたらとは誰しも思う所だろうが、皆判で捺したように、十年後れて気が附く。人生は斯うしたものだから、今私共を嗤う青年達も、軈ては矢張り同じ様に、後の青年達に嗤われて、残念がって穴に入る事だろうと思うと、私は何となく人間というものが、果敢ないような、味気ないような、妙な気がして、泣きたくなる……
 あッ、はッ、は! ……いや、しかし、私も老込んだ。こんな愚痴が出る所を見ると、愈老込んだに違いない。

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