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産屋物語
うぶやものがたり
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「与謝野晶子評論集」 岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年8月16日
初出「東京二六新聞」1909(明治42)年3月17~20日
入力者Nana ohbe
校正者門田裕志
公開 / 更新2002-01-10 / 2014-09-17
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 雛の節句の晩に男の子を挙げてまだ産屋に籠っている私は医師から筆執る事も物を読む事も許されておりません。ところで平生忙しく暮しておりますので、こう静かに臥っておりますと何だか独りで旅へ出て呑気に温泉にでも入っておるような気が致しますし、また平生考えもせぬ事が色色と胸に浮びます。お医者には内所で少しばかり書きつけて見ましょう。

 妊娠の煩い、産の苦痛、こういう事は到底男の方に解る物ではなかろうかと存じます。女は恋をするにも命掛です。しかし男は必ずしもそうと限りません。よし恋の場合に男は偶ま命掛であるとしても、産という命掛の事件には男は何の関係もなく、また何の役にも立ちません。これは天下の婦人が遍く負うている大役であって、国家が大切だの、学問がどうの、戦争がどうのと申しましても、女が人間を生むという大役に優るものはなかろうと存じます。昔から女は損な役割に廻って、こんな命掛の負担を果しながら、男の方の手で作られた経文や、道徳や、国法では、罪障の深い者の如く、劣者弱者の如くに取扱われているのはどういう物でしょう。縦令如何なる罪障や欠点があるにせよ、釈迦、基督の如き聖人を初め、歴史上の碩学や英雄を無数に生んだ功績は大したものではありませんか。その功績に対して当然他の一切を恕しても宜しかろうと思います。

 私は産の気が附いて劇しい陣痛の襲うて来る度に、その時の感情を偽らずに申せば、例も男が憎い気が致します。妻がこれ位苦んで生死の境に膏汗をかいて、全身の骨という骨が砕けるほどの思いで呻いているのに、良人は何の役にも助成にもならないではありませんか。この場合、世界のあらゆる男の方が来られても、私の真の味方になれる人は一人もない。命掛の場合にどうしても真の味方になれぬという男は、無始の世から定った女の仇ではないか。日頃の恋も情愛も一切女を裏切るための覆面であったか。かように思い詰めると唯もう男が憎いのです。
 しかし児供が胎を出でて初声を挙げるのを聞くと、やれやれ自分は世界の男の何人もよう仕遂げない大手柄をした。女という者の役目を見事に果した。摩耶夫人もマリヤもこうして釈迦や基督を生み給うたのである、という気持になって、上もない歓喜の中に心も体も溶けて行く。丁度その時に痛みも薄らいでいますから、後の始末は産婆に頼んで置いて、疲労から来る眠に快く身を任せます。勿論男の憎い事などは産が済んだ一刹那に忘れてしまった自分は、世界でこの刹那に一大功績を建てたつもりですから、最早如何なる憎い者でも赦してやるといったような気分になります。

 近頃小説家や批評家の諸先生が、切端詰った人生という事を申されますが、世の中の男の方が果して産婦が経験するほどの命掛の大事に出会われるかどうか、それが私ども婦人の心では想像が附きません。切端詰った人生といえば「死刑前五分間」に優るものはないように思…

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