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三面一体の生活へ
さんめんいったいのせいかつへ
作品ID3322
著者与謝野 晶子
文字遣い新字新仮名
底本 「与謝野晶子評論集」 岩波書店 岩波文庫
1985(昭和60)年8月16日
初出「太陽」1918(大正7)年1月
入力者Nana ohbe
校正者門田裕志
公開 / 更新2002-06-14 / 2014-09-17
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私たちは個人として、国民として、世界人としてという三つの面を持ちながら、それが一体であるという生活を意識的に実現したい。誰も無意識的には、また偶然的にはこの三面一体の生活の中に出つ入りつしているのですが、それを明らかに意識すると共に、出来るだけ完全にその三面が一体である生活を築いて行きたいと思うのです。
 どうしてこういうことを思うかというと、私たちにはあくまでも幸福な生活を建てようとする要求があります。この要求は強力な一つの本能である上に、今一つの強力な本能である理性がこれを支持し助長しようとします。全く私たちの人生の内部から発した所のこの要求ほど確かな真実はありません。私はこれが絶対に合理的であることを信じます。
 あくまでも幸福な生活を建てたいとするのは、従来の生活が十分に幸福なものでないということが不満を感じさせるからで、そうしてその理由は個人、国民、世界人という三つの面が矛盾し、衝突し、破裂しているからだということを今は私たち婦人も知る時機が来ました。即ち個人生活に利のあることは国民生活に害があり、国民生活に利のあることは世界生活に害があるという矛盾した状態に置かれているからだと思います。例えば戦争という人生の事実が縦まに個人を殺傷して個人生活の安全を害すると共に世界の平和をも乱すことは何人にも明白なることであるのですが、世界の文化の進歩したといわれる今日にかえって現在のような狂暴な大戦争が数年にわたって継続されているということは、今日もなお国民生活を特に偏重して、国民の自治的代表機関である国家が国民生活としての利害の前に他の二つの生活を犠牲にして顧みないという旧式な思想に原因していると思います。
 私たちの本能はどの生活をも享楽することを要求します。三つの生活のどの一つをも欠こうとは思いません。私たちは現に一日の中にも個人本位の生活をして他の二つの生活を藐視している幾刹那もしくは幾時間があります。食事も、睡眠も、読書も、労働も立派に個人本位の生活内容であって、私たちはそれらの場合に必ずしも国民としての生活や世界人としての生活を意識してはおりません。また私たちが租税を納めたり、女子に政治上の投票権を与えられることを望んだりする場合には国民本位の生活をしている時であって、その時にあるいは個人生活の意識を背景としている場合はあるにしても、必ずしも世界人としての生活を意識してはおりません。また私たちが学問芸術を研究し鑑賞する場合には人種と国境と国民的歴史とを超越した世界人類本位の生活の中に生きているのであって、その当面の幾刹那もしくは幾時間には、個人生活の利害や国民生活の利害などを眼中に置いてはおりません。これは誰にも明瞭な共通の実感です。こういう場合には三つの生活が自然に融和流動していて、必要に応じてあるいは個人本位の面を生活の中心とし、あるいは国民…

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