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ちち
作品ID3328
著者金子 ふみ子
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆99 哀」 作品社
1991(平成3)年1月25日
入力者渡邉つよし
校正者門田裕志
公開 / 更新2001-09-19 / 2014-09-17
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私の記憶は私の四歳頃のことまでさかのぼることができる。その頃私は、私の生みの親たちと一緒に横浜の寿町に住んでいた。
 父が何をしていたのか、むろん私は知らなかった。あとできいたところによると、父はその頃、寿警察署の刑事かなんかを勤めていたようである。
 私の思出からは、この頃のほんの少しの間だけが私の天国であったように思う。なぜなら、私は父に非常に可愛がられたことを覚えているから……。
 私はいつも父につれられて風呂に行った。毎夕私は、父の肩車に乗せられて父の頭に抱きついて銭湯の暖簾をくぐった。床屋に行くときも父が必ず、私をつれて行ってくれた。父は私の傍につきっきりで、生え際や眉の剃方についてなにかと世話をやいていたが、それでもなお気に入らぬと本職の手から剃刀を取って自分で剃ってくれたりなんかした。私の衣類の柄の見立てなども父がしたようであったし、肩揚げや腰揚げのことまでも父が自分で指図して母に針をとらせたようであった。私が病気した時、枕元につきっきりで看護してくれたのもやはり父だった。父は間がな隙がな私の脈をとったり、額に手をあてたりして、注意を怠らなかった。そうした時、私は物をいう必要がなかった。父は私の眼差しから私の願いを知って、それをみたしてくれたから。
 私に物を食べさせる時も、父は決して迂闊には与えなかった。肉は食べやすいように小さくむしり魚は小骨一つ残さず取りさり、ご飯やお湯は必ず自分の舌で味って見て、熱すぎれば根気よくさましてからくれるのだった。つまり、他の家庭なら母親がしてくれることを、私はみな父によってされていたのである。
 今から考えて見て、むろん私の家庭は裕福であったとは思われない。しかし人生に対する私の最初の印象は、決して不快なものではなかった。思うにその頃の私の家庭も、かなり貧しい、欠乏がちの生活をしていたのであろう。ただ、なんとかいう氏族の末流にあたる由緒ある家庭の長男に生れたと信じている私の父が、事実、その頃はまだかなり裕福に暮していた祖父のもとでわがままな若様風に育てられたところから、こうした貧窮の間にもなお、私をその昔のままの気位で育てたのに違いなかったのである。
 私の楽しい思い出はしかしこれだけで幕を閉じる。私はやがて、父が若い女を家へつれ込んだ事に気づいた。そしてその女と母とがしょっちゅういさかいをしたり罵りあっているのを見た。しかも父はそのつど、女の肩をもって母を撲ったり蹴ったりするのを見なければならなかった。母は時たま家出した。そして、二、三日も帰って来ない事があった。その間私は父の友だちの家に預けられたのである。
 幼い私にとっては、それはかなり悲しいことであった。ことに母がいなくなった時などは一そうそうであった。けれどその女はいつとはなく私の家から姿をかくした。少くとも私の記憶にはなくなってしまっている。が…

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