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空知川の岸辺
そらちがわのきしべ
作品ID333
著者国木田 独歩
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 11 國木田獨歩・田山花袋集」 筑摩書房
1970(昭和45)年3月15日
入力者林田清明
校正者大西敦子
公開 / 更新2000-06-27 / 2014-09-17
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       一

 余が札幌に滞在したのは五日間である、僅に五日間ではあるが余は此間に北海道を愛するの情を幾倍したのである。
 我国本土の中でも中国の如き、人口稠密の地に成長して山をも野をも人間の力で平げ尽したる光景を見慣れたる余にありては、東北の原野すら既に我自然に帰依したるの情を動かしたるに、北海道を見るに及びて、如何で心躍らざらん、札幌は北海道の東京でありながら、満目の光景は殆ど余を魔し去つたのである。
 札幌を出発して単身空知川の沿岸に向つたのは、九月二十五日の朝で、東京ならば猶ほ残暑の候でありながら、余が此時の衣装は冬着の洋服なりしを思はゞ、此地の秋既に老いて木枯しの冬の間近に迫つて居ることが知れるであらう。
 目的は空知川の沿岸を調査しつゝある道庁の官吏に会つて土地の撰定を相談することである。然るに余は全く地理に暗いのである。且つ道庁の官吏は果して沿岸何れの辺に屯して居るか、札幌の知人何人も知らないのである、心細くも余は空知太を指して汽車に搭じた。
 石狩の野は雲低く迷ひて車窓より眺むれば野にも山にも恐ろしき自然の力あふれ、此処に愛なく情なく、見るとして荒涼、寂寞、冷厳にして且つ壮大なる光景は恰も人間の無力と儚さとを冷笑ふが如くに見えた。
 蒼白なる顔を外套の襟に埋めて車窓の一隅に黙然と坐して居る一青年を同室の人々は何と見たらう。人々の話柄は作物である、山林である、土地である、此無限の富源より如何にして黄金を握み出すべきかである、彼等の或者は罎詰の酒を傾けて高論し、或者は煙草をくゆらして談笑して居る。そして彼等多くは車中で初めて遇つたのである。そして一青年は彼等の仲間に加はらずたゞ一人其孤独を守つて、独り其空想に沈んで居るのである。彼は如何にして社会に住むべきかといふことは全然其思考の問題としたことがない、彼はたゞ何時も何時も如何にして此天地間に此生を托すべきかといふことをのみ思ひ悩んで居た。であるから彼には同車の人々を見ること殆ど他界の者を見るが如く、彼と人々との間には越ゆ可からざる深谷の横はることを感ぜざるを得なかつたので、今しも汽車が同じ列車に人々及び彼を乗せて石狩の野を突過してゆくことは、恰度彼の一生のそれと同じやうに思はれたのである。あゝ孤独よ! 彼は自ら求めて社会の外を歩みながらも、中心実に孤独の感に堪えなかつた。
 若し夫れ天高く澄みて秋晴拭ふが如き日であつたならば余が鬱屈も大にくつろぎを得たらうけれど、雲は益々低く垂れ林は霧に包まれ何処を見ても、光一閃だもないので余は殆ど堪ゆべからざる憂愁に沈んだのである。
 汽車の歌志内の炭山に分るゝ某停車場に着くや、車中の大半は其処で乗換へたので残るは余の外に二人あるのみ。原始時代そのまゝで幾千年人の足跡をとゞめざる大森林を穿つて列車は一直線に走るのである。灰色の霧の一団又一団、忽ち現はれ忽…

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