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日本の肖像画と鎌倉時代
にほんのしょうぞうがとかまくらじだい
作品ID3338
著者内藤 湖南
文字遣い旧字旧仮名
底本 「内藤湖南全集 第九卷」 筑摩書房
1969(昭和44)年4月10日
初出史學地理學同攻會講演、1920(大正9)年12月
入力者はまなかひとし
校正者菅野朋子
公開 / 更新2001-11-14 / 2016-04-20
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 我國の繪畫が主として支那に起原せる事は勿論にして、支那の繪畫が時代によりて變遷ある毎に我國にも影響せし事は疑なし。其中に於て、肖像畫も殆んど現存の繪畫の開闢期より既に存在せしが、その肖像畫が日本に於て最も發達し、獨得の技倆を發揮せしは果して何時代の頃なりや、これに就ては、史學者、美術史家等の間に既に議論せられし事なるが、こゝに一己の私見を述べんとす。
 其前に少しく日本の肖像畫の變遷の概略を語る必要あり。肖像畫中、最も古く且つ最も有名なるものは、もと法隆寺の所藏にして現に帝室御物たる唐本の御影と稱する聖徳太子像なり。其畫像は、百濟の阿佐太子の筆と傳へらるゝが、勿論これは確據あるに非ず、たゞこの畫が支那の六朝時代の肖像畫の風を傳ふるものなる事は、近年になりて種々なる材料の發見によりて明かにせられたり。尤も此唐本の御影の現存せる本が眞本なりや摸本なりやは疑問の存する所にして、自分にも多少の意見なきに非るも、今の所論に關係なきを以て省略す。
 支那、福州の林氏の所藏する『唐閻立本帝王圖』なるものあり、其の寫眞版が近頃我國にも渡來せしが、この本は前漢の昭帝より隋の煬帝までの十三人の肖像を集めしものにして、その各帝王像の構圖が頗る聖徳太子像に似たるものあり、即ち聖徳太子像の中央に本人あり、左右に二王子と稱せらるゝものを畫けるは、『閻立本帝王圖』の中、九點までが、みな此と同じ構圖なり。閻立本は唐初の人にして、此等各帝王の時代は數百年に彌れるを以て、此等肖像は單に想像によりて畫きしものならんとの疑を生ずれども、余の所見を以てすれば然らずして歴代の古き肖像畫ありしを摸寫し集成したるものならんと信ず。近年フランスのペリオ氏が敦煌にて寫したる多數の寫眞中にも、これと同樣に三人並び立てる人物像ありしが、多分佛像を供養したる地方の名族等の肖像として畫きしものならん。ともかく、六朝までの肖像畫と聖徳太子像とが相互に關係ある事は明かなり。
 唐の肖像畫が、何時頃に變化を來せしかは明瞭ならざるが、唐代に於て、すべての藝術の一大變遷期が盛唐即ち玄宗皇帝の開元・天寶頃にある事より考へ、且つ繪畫の中にても山水畫の如きが當時王維・呉道玄らによりて變化されし事より考へて、肖像畫も亦其時分に變化したるに非ざるかと思はる。これに就いて參考となるものは、やはり近頃支那にて出版されしものに、『中國歴代帝后像』と言ふ本あるが、此本は、元來清朝の宮中に南薫殿といふ處ありて歴代帝后の像を藏し、それに關して清朝の胡敬が『南薫殿圖像考』を著せしが、其記事と『歴代帝后像』とが、大體に於て一致せる所を見れば、帝后像の寫眞のもとが、南薫殿の原本なる事を推測し得べし。然るに、この『帝后像』には唐より五代までの間の畫像は五枚位にすぎずして、しかも其畫が果して唐代の原圖なりや否やを知りがたし。宋以後のものは確かなるものゝ如し…

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