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みのりを豊かに
みのりをゆたかに
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十六巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年6月20日
初出「人民評論」1946(昭和21)年1月号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-10-18 / 2014-09-18
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 やっと、ラジオの全波が聴けるということになった。
 そのことが放送されたのは、九月下旬の或夜であった。田舎の家で、雑音だらけのラジオながら、熱心に九時のニュースをきき、世界の動きが身に伝わる感じでいたら、それにつづいて、局からのお知らせを申上げます、と全波聴取のことが告げられた。
 日本のラジオが、今日まで国内放送しか聴かれず、全波は禁止されており、それを聴くことは犯罪として見られたということは、諸外国に例のない野蛮な文化に対する抑圧であった。しかし、この十数年間の民衆の実生活は全般にわたって、その細目に及ぶまで余り切りつまり、自由を失い、発言の力がなかったから、ましてやラジオなどについては、日本のラジオは、こういうものとしてうけ入れていたように思う。もしかしたら、「日本のラジオ」という世界文化に対して考えれば極りのわるいその不具性さえ、一般の人々には明瞭に意識されてさえいなかったかもしれない。それほど、世界に向ってひらかれているべき私たちの眼、耳、そして知識と心情とは根本から封鎖されていたのである。
 その夜、局からの全波聴取のニュースを伝えたアナウンサアの話しぶりは私がこれ迄どんなニュースでもきかなかったほど、自身の感動に溢れた調子であった。アナウンサア独特の、何事を報道しても平静を失わない、はっきりしているが職業的平板さの伴った声ではなかった。アナウンサアは、全波を禁止していたこれまでの軍事的権力がどんなに封建的なものであったかということ、そのために国民は自分達の生活の実状さえ知らず、更には偽りで組立てた報道で操られて来ざるを得なかった事実を熱のある表現で説明した。今やようよう全波をきくことが出来るようになって、ラジオはラジオとして本来の機能を発揮する時機が来た。あらゆる聴取者よ、全波受信の設備をせよ。そして、日夜広々とした全世界の脈動に貫かれて生活を向上させ、新しい日本の創設のために努力するようにと、そのアナウンサアの表現は、率直で殆ど激情的でさえあった。いかにも、明暮その仕事に携っている人が、専門家として蒙っていた云うに云えない永年の不自由から、自由になった! これからこそ、と意気ごんだ気組とよろこばしい激励とに満ちていた。日本独特のダラダララジオから、こういう声が響き、外ならぬアナウンサアが、こういう人間的感動をもって、彼等も一専門家として享受するようになった解放の息吹に胸を高鳴らしているという事実は、深くわたしの心を動かしたのであった。そして、我々日本人は、今日、他の文明国の人々たちがほとんど想像もし得ないほど些細な日常事象の一つ一つについて、可能となった積極性、或は合理性をよろこんでいるのであると痛感したのであった。
 床についてからも、新鮮な勢で生活に導き入れられた、オール・ウェイブス、全波についてあれこれと考えているうちに、いろいろのこ…

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