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公のことと私のこと
おおやけのこととわたくしのこと
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十六巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年6月20日
初出NHKラジオ、1946(昭和21)年6月6日放送
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-10-20 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 この社会に公明正大に生きてゆくためには、公私の別をよくわきまえていかなければならない。このことは、よく昔からくりかえして云われて来ております。そして、誰しも一応はわかって暮しているわけでしょうが、昨今私どもが周囲の生活を見まわしたとき、一応は誰にでもわかっている筈の、その公私の区別が、果してあるべきようにはっきりしているでしょうか。
 毎日の実際について、少し観察してみましょう。

 食糧事情は、お互さまにひどいことになって来ました。七時半ごろという今の時間は、どこの御家庭でも、たのしかるべき朝飯の時刻です。一家揃って元気よく、一日の活動に出発する第一の食事をなさるその時間に、ラジオは耳から、心の糧を送ろうとして、この時間のプログラムは考えられているのでしょう。けれども、けさの食卓は、お互さまにいかがなものでしょうか。

 これまで、一家の食事ということは、どこの家でもかかされないことだのに、どういうわけか、めいめいの私事という風に考えられて来ました。食事の時間にお客が来ると、来たお客が恐縮するかわりに、却って食事中の主人一家の方があわてて、すまないことでもしているように、失礼いたしまして、と詫びたりします。

 これは、日本独特の習慣であると思います。いい食事をするのも、乏しい食事をするのも、つまりはその一家の金のあるなし、腕のあるなしにだけかかっていることとされていました。そのために、どういう方法にしろ金のありあまっている人々は、健康に害があるほど馬鹿馬鹿しい贅沢な食事をし、金のない者は、人間として生きて働いてゆくだけの体力も保てないほど貧しい食物で、しのいでゆかなければなりませんでした。そして、この、どちらにしても不合理な二つの現象は、めいめいの都合による、私ごとと思われて来たのでした。

 ところが、戦争の結果、日本の大多数の人々は食糧の欠乏にみまわれることになりました。今日、あらわな慢性の飢餓の状態に立ち到るまでには、いくつかの段階があって、そのたびにいろいろな警告が発せられました。配給を公平にせよ、横流しをするな、闇をとりしまれ、公徳心を発揮せよ、と云われたのですが、そのききめは、どの位のものでしたろう。

 これまで、日本のすべての人は、食べるということは、自分の力で、云わばめいめいの分相当に解決してゆくべき「わたくしのこと」として教えこまれ、習慣づけられて来ました。とくに、そのやりくりは、主婦の責任という風に考えられました。人間が、どう食べているか、ということが、一つの社会にとって重大な問題であるという、公の立場から考える習慣はもっていません。そう考えるのは、社会主義のものの考えかたであるとして、むしろ取締られて来ました。

 食物の問題を、この社会にとっての公の問題としてとりあげれば、処罰されかねなかった習慣の中で、物が無くなったからと云…

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