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文化生産者としての自覚
ぶんかせいさんしゃとしてのじかく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十六巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年6月20日
初出「評論」1947(昭和22)年3月号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-10-22 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 谷崎潤一郎の小説に「卍」という作品がある。その本が一冊千円で売られる話をきいた。小売店では、いくらなんでもとあやぶんでいたところ案外に買手がある。今時の金は、ある所にはあるものだ、という驚きとむすびつけて話された。荷風もよく売れる。谷崎や荷風のものは、情痴といわゆる遊びの世界にひかれて、文学そのものには全く縁のない闇屋が最近愛読しているということも話された。そのとき「闇屋の作家」という表現が与えられていてわたしを驚かした。
 六七年前、インフレーションがはじまって、それはまだ軍需インフレと呼ばれていた頃、書籍とインフレーションの関係で、新しい插話が生れた。その中に、インフレーションで急に金まわりのよくなった若い職工さんが、紀伊国屋書店にあらわれて、百円札を出し、これだけ本をくれ、といったという話がひろくつたえられた。出版インフレと云われて、今日になれば価値も乏しい文学書も溢れていたときのことである。
 みかんかりんごを買うように、これだけ本をくれと百円札を出したにしろ、その若い職工さんは、ともかく本が何か心のたしになると思って買う気になったのだろう。ちょうど、みかんは主食にならないけれど、みかんのヴィタミンは、身体にいいと知っていたように。ところが、こんにち谷崎、荷風のものなら「闇屋が買うから」といわれていることには、おのずからちがった意味がある。
 作家が自分の本をいつ、誰に、何処で読まれるかということについては、これまできわめて受動的な立場にいた。読みたい人は誰でも読み、そしてまた誰でも読むということがその作家の社会的な商売的な存在のひろさをはかることでもあった。だから谷崎、荷風が闇屋に読まれるということもその作家にとやかくいうべきでない社会現象であるともいえる。なぜなら、闇屋は最近の日本の破滅的な生産と経済と官僚主義の間から生えたきのこであり、谷崎、荷風はそんなきのこの生える前からそこに立っていた資本主義社会の発生物であったのだから。
 しかし作家の生きてゆく社会的感覚と作品の生きてゆき方――作品の普及される方向、出版されてゆく条件などについて、単に受動的でいられなくなっている作家、著述家があらわれてきている。
 一九四五年八月、戦争が終って、日本に民主的方向が示された。言論の自由・出版の自由がとりもどされた。それから今日まで、十数ヵ月経つ間に、民衆のとりもどされたはずであった出版の自由や言論の自由というものは、どういう現実で推移して来ただろうか。これについては、真面目な反省がいる。
 形式の上で、自由にされた出版、自由にされた言論が、現実に自由に存在するためには資材がいる。出版の自由は、自由につかえる紙が土台である。紙が闇で、それは刻々に値上りし、紙のタヌキ御殿が出現して新聞を賑わす有様は、出版の自由がどんなに歪み、単に営利化されているかという事実…

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