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便乗の図絵
びんじょうのずえ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十六巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年6月20日
初出「光」1948(昭和23)年9月号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-10-24 / 2014-09-18
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 便乗ということばが、わたしたちの日常にあらわれたのはいつごろからのことだったろうか。
 日本の天皇制権力が満州・中国と侵略をすすめて、世間の輿論も、議会の討論も邪魔と考えはじめてから、日本全国には政治がなくなって強権の専断ばかりになった。その時分、翼賛会ができた。議会は政府案に決して反対しないという条件の翼賛議会になり、侵略戦争賛成、種々の人権抑圧法賛成、いくらでも軍事費をつかうこと賛成と、侵略戦争のためのロボット議員が推薦候補で議員になった。便乗という卑屈なくせに利慾のまなこは八方にくばっている言葉が生れたのはその頃のことであった。
 ちょうど便乗という言葉がはやりはじめた時分、これまで東京の街々にあふれていたやすいタクシーもだんだん姿を消しはじめた。どこかで落ち合った知人が自動車をもっていたりすると、君、どこか都合がいいところまでのって行ったらと自動車をもっている人は友人にそうすすめたし、すすめられた友人は、じゃ、便乗させて貰うか、とのって行った。
 こんな場合につかわれた便乗は、そのころはやり出した便乗ということばの、最も正統な、また最も素朴な使いかたであった。便乗という言葉は、バスにのりおくれまい、という表現と前後した。翼賛議員になる時勢のバスにのりおくれまいとあわてる人々の姿をからかい気味に形容したことばであった。
 ところで、便乗という言葉はひところあれほどひろくはやったが、真実のところでは、日本の人口のどれだけの部分が、その人たちの生活の現実で時勢に便乗したのであったろうか。便乗という言葉が日本の津々浦々にまではやったのにくらべて、現実に便乗してしっかり何かの利得を掴んだという人の数がすくないのに、むしろびっくりしはしないだろうか。
 戦争がだんだん大規模になって行った時期、軍需会社は大小を問わず儲けはじめた。ひところは小さい町工場でも人をふやして、下受け仕事に忙しくなった。けれども、一つ町内でそういう風に戦時景気に便乗していくらかでも甘い目を見た家の数と、毎日毎日、日の丸をふって働き手を戦争へ送り出し、そのために日々の生計が不安になっていった家の数をくらべて見たらどうだったろう。どんな町でも村でも、目立って景気がよくなったと見えるところは十軒たらずで、のこった数百軒、数千軒の家は、軍需景気につれての物価高にじりりじりりとさいなまれはじめて来ていたのが実際であった。だから、戦争に便乗して、そのとき一時にしろ儲けたのは、ほんの一部の者であり、その一部の者というのは、そのときがたがたになっていたにしろとにかく工場と名のつくものをもち、あるいは、ぼろ工場を買うことのできるだけの借金のかたにする何ものかをもっていた者だったことを意味するのである。
 労働力一つを生活の手段として生きている勤労者の生活が、あの時分いくらかよくなったように見えたのも、束の…

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