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偽りのない文化を
いつわりのないぶんかを
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十六巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年6月20日
初出「女性改造」1948(昭和23)年9月号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-10-24 / 2014-09-18
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

          一

 きょう、わたしたち女性の生活に文化という言葉はどんなひびきをもってこだまするだろう。文化一般を考えようとしても、そこには非常に錯雑した現実がすぐ浮び上って来る。このごろの夏の雨にしめりつづけてたきつけにくい薪のこと、そのまきが乏しくて、買うに高いこと。干しものがかわかなくて、あした着て出るものに不自由しがちなこと。シャボンがまた高くなったこと。夏という日本の季節を爽快にすごすことも一つの文化だとすれば、多くの女性の生活には、文化らしいものさえもたらされていない。雑誌のモードは、山に海にと、闊達自由な服装の色どりをしめし、野外の風にふかれる肌の手入れを指導しているけれども、サンマー・タイムの四時から五時、ジープのかけすぎる交叉点を、信号につれて雑色の河のように家路に向って流れる無数の老若男女勤め人たちの汗ばんだ皮膚は、さっぱりお湯で行水をつかうことさえ不如意な雑居生活にたえている場合が多い。
 その半面、このごろのわたしたちの生活は、決して戦争時分のように、どっちを向いても食べているのはおたがいに大豆ばかりという状態ではなくなっている。おいしそうに見事な果物や菓子が売り出されている。きれいな夏ものが飾られ、登山用具はデパートのスポーツ部にあふれている。軒をならべた露店に面して、よくみがかれた大きいショーウィンドをきらめかせているデパートはすべてが外国風な装飾で、外国人専用のデパートの入口には外国の若い兵士が番をしている。その入口を出て来る人の姿を見ていると、あながち外国人ばかりでもなくて、大きい紙包を腕にかかえた日本の女もまじっている。そういう日本の女のひとたちは、どうしてあんなに、わたしはみんなとちがいます、という風な愛嬌のない、きれいさのない顔つきをして通行人にたち向わなければならないのだろう。その表情を見るような見ないような視線のはじにうつしとって、瞬間の皮肉を感じながらゆきすぎる男女の生活は、日々の勤勉にかかわらず三千七百円ベースの底がひとたまりもなくわられつつある物価の高さによろめき、喘いでいるのだ。
 こういう様相が文化とよばれるものだろうか。こんなまとまりのない、二重三重の不均衡でがたぴし、民族の隷属がむき出されているありさまが、わたしたち日本人の文化の本質だというのだろうか。
 戦時中の反動で、しきりに教養だの文化だのと求めながら、わたしたちは必要なだけの真面目さで今日の文化性について吟味していないように思う。きょうの現実に生きるわたしたちの感情には、ひと握りの人たちが教育をうけて来た外国の文化をほめて日本の文化の低さを語る、そんな気持にはおどろかされないものがある。日本の七千万の人の大多数は、文化の資産として歴史のなかからなにをとり出して来ているか。こんにちの文化の底辺をそこに発見しようとする切実な心がある。まして…

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