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大切な雰囲気
たいせつなふんいき
副題03 大切な雰囲気
03 たいせつなふんいき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「小出楢重随筆集」 岩波文庫、岩波書店
1987(昭和62)年8月17日
「小出楢重全文集」 五月書房
1981(昭和56)年9月10日
入力者小林繁雄
校正者米田進
公開 / 更新2002-12-28 / 2014-09-17
長さの目安約 145 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

   自画像

 押入れから古い一束のはがきと手紙の包みが現われた。調べてみると昔、両親が私の美校入学の当時、東京から送ったところの私の手紙類をことごとく集めておいたものだった。
 私はなにかおそろしいものの如くその一枚を読んでみた。するとその中には、「御送付下されし小包の包み紙は細かく切って鼻紙といたしました。それくらいの倹約をしています」とあり、あるいは「画架を買うのにやむを得ない道具のこと故思い切って買います。三円五〇銭です、高価です、しかし丈夫なものですから、生涯使うことは出来ます」。その他かかる文句をいろいろに並べて両親を安心させようと努めている。そうしておいて甘い親を欺す気かと人の悪い誰かはひやかすかも知れないが、決して私はさような者ではなかった。当時二十何歳の男としてはなんと善良にしてしみったれそのものであったことかと思う。
 次にその心根と少しそりのあわない心根が私の芸術とともに、苦労しながら伸び上がってきた。すなわち私の第二の天性だ。
 しかし第一の心根は私から出てしまったのではない。心の底に下積みとなって共存しているのだ。時に矛盾せるこの二つの心が別々に作用することがある。私も不愉快だが他人はそんな時、彼は狸だよ、喰えないということがある。この二つの相反せる心が作用すると狸の性格と見えるのかも知れない。
 しかしながら万一それが狸であったとしても、狸の欺し方というものは大体さほどに深刻なものではないと思う。時に深夜の腹芸によって、不眠の夜の御機嫌を伺い奉る位のものではないかと私は考えている。あるいは逃げ出す時、小便をもって桜の花の満開位は見せたいのだが、とても私にはまださような神通力は備わっていない。
(「美術新論」昭和五年五月)

   明月で眼を洗う

 私の十歳位であった頃の記憶によると、私は母や女中たちとともに、それは盆の満月だったか、仲秋の明月だったかを忘れたが、まだ多少暑い頃だったが、その明月の夜に道頓堀川へ眼を洗いに毎年の行事として出かけたものであった。その頃の道頓堀川は今の如くジャズとネオン灯と貸ボートの混雑せる風景ではなかった。ようやく芝居の前のアーク灯という古めかしく青い電灯がうようよと夏の虫を集め、宗右衛門町の茶屋の二階に暗いランプが点っていたに過ぎなかった。
 川水は暗くとろんと飴の如く流れて月を浮かべていた。その明月の水で眼を洗えばなるほど眼は清浄であり、眼病はたちまち平癒するように思われた。私は河岸へよせる水に足をつけて眼を洗ったこの美しい行事を今に忘れ得ない。それにしても、よく眼を悪くしなかったことだと思う。この川水こそは大都会の下水道であるのだ。
(「美術新論」昭和五年四月)

   地中海の石ころ

 去年の夏、南紀の海辺に寝そべった私は、久しぶりで広々とした大洋を眺めることが出来た。寝ていると、私の周囲…

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