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画家とセリセリス
がかとセリセリス
作品ID358
著者南部 修太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「新進傑作小説全集14 南部修太郎集・石濱金作集」 平凡社
1930(昭和5)年2月10日
入力者小林徹
校正者伊藤時也
公開 / 更新2000-08-07 / 2014-09-17
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

         1

 それが癖のいつものふとした出來心で、銀座の散歩の道すがら、畫家の夫はペルシア更紗の壁掛を買つて來た。が、家の門をはひらない前に、彼はからつぽになつた財布の中と妻の視線を思ひ浮べながら、その出來心を少し後悔しかけてゐた。始終支拂ひに足らず勝ちな月末までにもう十日とない或る秋の日の夕方だつた。
「あら、またこんな物を買つてらしたの?」
 さすがに隱しきれもせずに、夫がてれ臭い顏附でその壁掛の包みを解くと、案の條妻は非難の眼を向けながらさう言つた。
「うん、近い内に取り掛かる裸體のバツクに使ふ積りなんだよ」
「まア。うまい言譯をおつしやるのね」
 と、妻は口元に薄い笑ひを浮べた。
「いや、ほんとだよ」
「ふふふ、怪しいもんだわ。始終そんな道具立てばかりなすたつて、お仕事の方はちつとも運ばないぢやないの」
「そんな事はない。今度はきつとする。展覽會の方の約束もあるんだから‥‥」
「どうだか、またいつもの豫定だけなんでせう」
 妻は微笑をつづけながら言つたが、そこで不意に眞顏になると、
「だけど、あなたは、ほんとにお氣樂ね」
「何が?」
「何がつて、もう少し家のことや子供のことを考へて下すつたつていいと思ふわ」
「考へてないと思つてるのか、君は?」
 と、夫も少し顏色をあらためた。
「だつて、考へていらつしやらないも同然だわ。今日はもう二十日過ぎよ。それに、こないだから、子供の洋服や靴をあんなに買つてやりたいつて言つてたぢやないの?」
「それがどうしたと言ふんだい?」
 夫はふてくされた氣持で言ひ返した。
「まア、空とぼけるなんて卑怯だわ。そ、そんな贅澤な壁掛なんかを氣まぐれにお買ひになる餘裕があるんならつて言ふのよ」
「だから言つてるぢやないか。仕事に使ふんだつて‥‥」
「[#挿絵]ウ、あなたのいつもの癖にきまつてるわ。ねエ、子供の洋服や靴は必要品よ。それに、月末だつてもう近いんだし、何もそんなあつてもなくつてもいい壁掛なんかを今お買ひになることないぢやありませんか」
「分らないなア、仕事に使ふんだつて‥‥」
「よして頂戴、そんな逃げ口上は‥‥」
 と、妻は強く夫の詞を遮りながら、眼の前の更紗模樣に侮蔑的な視線を投げた。
「とにかく、あなたが始終こんな氣まぐれな贅澤ばかりなさるから、月末の拂ひが足りなかつたり、子供の身のまはりをちやんとしてやれないのよ。考へても御覽なさい、夏繪は來年もう學校よ。暫くはまだいいけれど、さうなつてから今のやうなのはあたしまつぴらだわ[#印刷不鮮明、87-14]。第一、こんな暮し方をしてゐて、さきさきどうなるかと思ふと不安ぢやなくつて?」
 言ひながら、妻はまともに夫の顏を見た。
 夫は思はず眼をそらした。すつかり弱味を突かれた感じで内心まゐつた。が、そこで妻の非難をすなほに受けとるためには夫の氣質はあまりに我儘…

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