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歌行灯
うたあんどん
作品ID3587
著者泉 鏡花
文字遣い新字新仮名
底本 「泉鏡花集成6」 ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年3月21日
入力者門田裕志
校正者砂場清隆
公開 / 更新2002-01-09 / 2014-09-17
長さの目安約 74 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       一

 宮重大根のふとしく立てし宮柱は、ふろふきの熱田の神のみそなわす、七里のわたし浪ゆたかにして、来往の渡船難なく桑名につきたる悦びのあまり……
 と口誦むように独言の、膝栗毛五編の上の読初め、霜月十日あまりの初夜。中空は冴切って、星が水垢離取りそうな月明に、踏切の桟橋を渡る影高く、灯ちらちらと目の下に、遠近の樹立の骨ばかりなのを視めながら、桑名の停車場へ下りた旅客がある。
 月の影には相応しい、真黒な外套の、痩せた身体にちと広過ぎるを緩く着て、焦茶色の中折帽、真新しいはさて可いが、馴れない天窓に山を立てて、鍔をしっくりと耳へ被さるばかり深く嵌めた、あまつさえ、風に取られまいための留紐を、ぶらりと皺びた頬へ下げた工合が、時世なれば、道中、笠も載せられず、と断念めた風に見える。年配六十二三の、気ばかり若い弥次郎兵衛。
 さまで重荷ではないそうで、唐草模様の天鵝絨の革鞄に信玄袋を引搦めて、こいつを片手。片手に蝙蝠傘を支きながら、
「さて……悦びのあまり名物の焼蛤に酒汲みかわして、……と本文にある処さ、旅籠屋へ着の前に、停車場前の茶店か何かで、一本傾けて参ろうかな。(どうだ、喜多八。)と行きたいが、其許は年上で、ちとそりが合わぬ。だがね、家元の弥次郎兵衛どの事も、伊勢路では、これ、同伴の喜多八にはぐれて、一人旅のとぼとぼと、棚からぶら下った宿屋を尋ねあぐんで、泣きそうになったとあるです。ところで其許は、道中松並木で出来た道づれの格だ。その道づれと、何んと一口遣ろうではないか、ええ、捻平さん。」
「また、言うわ。」
 と苦い顔を渋くした、同伴の老人は、まだ、その上を四つ五つで、やがて七十なるべし。臘虎皮の鍔なし古帽子を、白い眉尖深々と被って、鼠の羅紗の道行着た、股引を太く白足袋の雪駄穿。色褪せた鬱金の風呂敷、真中を紐で結えた包を、西行背負に胸で結んで、これも信玄袋を手に一つ。片手に杖は支いたけれども、足腰はしゃんとした、人柄の可いお爺様。
「その捻平は止しにさっしゃい、人聞きが悪うてならん。道づれは可けれども、道中松並木で出来たと言うで、何とやら、その、私が護摩の灰ででもあるように聞えるじゃ。」と杖を一つとんと支くと、後の雁が前になって、改札口を早々と出る。
 わざと一足後へ開いて、隠居が意見に急ぐような、連の後姿をじろりと見ながら、
「それ、そこがそれ捻平さね。松並木で出来たと云って、何もごまのはいには限るまい。もっとも若い内は遣ったかも知れんてな。ははは、」
 人も無げに笑う手から、引手繰るように切符を取られて、はっと駅夫の顔を見て、きょとんと生真面目。
 成程、この小父者が改札口を出た殿で、何をふらふら道草したか、汽車はもう遠くの方で、名物焼蛤の白い煙を、夢のように月下に吐いて、真蒼な野路を光って通る。……
「やがてここを立出で辿り行くほどに、…

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