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技術の哲学
ぎじゅつのてつがく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「戸坂潤全集 第一巻」 勁草書房
1966(昭和41)年5月25日
初出「技術の哲学」時潮社、1933(昭和8)年12月13日
入力者矢野正人
校正者Juki
公開 / 更新2011-10-03 / 2014-09-16
長さの目安約 170 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私は今特に、文明批評又は文化批判の立場から、技術の問題を取り上げる。「技術の哲学」と名づけた理由は之である。そしてここでは主に、技術をイデオロギー理論に関係させて取り扱おうと思ったのである。
 この問題についてはまだまだ書くことがあると思うから、序説の積りで之を出版したいと考える。――検閲にそなえるために正確に云い表わせない点があったのは残念だ。
一九三三・一二・六
戸坂潤
[#改ページ]

技術の問題

 わが国の現在の言論界では、必ずしも技術の問題が最も重大な問題の一つになっているとは限らないように見える。その原因を見出すことは困難でないだろう。併し技術の問題が今日、様々な対立関係を通じてであるが、最も重大な国際問題の一つになっているという事実は注目を必要とする。ではなぜ今日――吾々にとって――技術は問題とならねばならぬか。又どういう諸形態の問題としてそれが問題にされ得るか。
 封建制下の社会の文化にとっては言葉が或る意味で代表的な役目を有っていた(ギリシア的ロゴス・スコラ的文義的思弁・又我が国に於ける夫々の時代の仏典漢籍国学等々の解釈文化・等)。資本制社会に於ては之に反して、技術が文化の重大な――尤も唯一ではないが――特徴をなしている。之は以前から云われたことである。
 処が、この四年程以来、全世界を通じて極度に発達した資本主義が、決定的な不況という相貌を通じて、ありと凡ゆる形の危機――経済的危機・政治的危機・文化危機・其の他――を凡ゆる人々の眼の前にありありと展げて見せている。資本主義は今や、古いヨーロッパは云うまでもなく、先進後進の極東諸国家に於て、又更に自由の楽土(?)アメリカに於てさえ、物質的及び精神的な(人々はそう呼ぶのである)危機に当面している。金融ブルジョアジーとその代弁者達は、この危機の本質をば経済的危機として解決することが到底出来ないことを遂に悟ったので(アメリカさえ永遠の繁栄を断念しなければならなかった)、特にこれを文化危機という形態に於て捉えることを企て、これをそういう風にイデオロギー化すことによって何とか解消の道を見出そうと試みる。彼等は欧州文明の没落(シュペングラー)・物質文明の幻滅(日本ファシスト)・等々というようなフラーゼを発見することによって、これ等欧州文明とか物質文明とかに対する何かの反対物を空想し(例えば東洋風の形而上学・精神文明・王道文明・王道精神・等々)、かくてこの危機を乗り越える手段を発見したものであるかのように空想するのである。――併し、欧州文明や物質文明という資本主義文化のこの片言まじりの特色づけも亦、必ず技術という概念に結びつけられている点に注目しなければならない。資本主義文化が元来技術と結び付いているものだと前に云ったが、それは同時に、技術が資本制なる経済組織・生産関係と根本的に結び付いていなければな…

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