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婦人と思想
ふじんとしそう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「与謝野晶子評論集」 岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年8月16日
初出「太陽」1911(明治44)年1月
入力者Nana ohbe
校正者門田裕志
公開 / 更新2002-01-10 / 2014-09-17
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 行うということ働くということは器械的である。従属的である。それ自身に価値を有っていない事である。神経の下等中枢で用の足る事である。わたしは人において最も貴いものは想うこと考えることであると信じている。想うことは最も自由であり、また最も楽しい事である。また最も賢く優れた事である。想うという能力に由って人は理解もし、設計もし、創造もし、批判もし、反省もし、統一もする。想うて行えばこそ初めて行うこと働くことに意義や価値が生ずるのである。人が動物や器械と異る点はこの想うことの能力を有っているからである。また文明人と野蛮人との区別もこの能力の発達不発達に比例すると思う。

 なぜわたしがかような解り切った事を書き出したかというと、日本人にはまだ考えるということが甚しく欠けている。特に日本婦人にはその欠点が著しく感ぜられる。わたしはそれを警告して自他の反省資料としたいのである。例えば現今の男子は皆金銭を欲して物質的の利を得ることに努力している。それがために沢山の営利事業が起り、幾多の資本家を富ましめ、多数の労働者が働いてはいるが、さて何故に金銭を要するかという根本問題について考えている人は極めて少いのである。唯盲目的に金銭の前に手足を動かしているに過ぎない。従って今の富といい経済というものは人生の最も有用なる目的のために運用せられずに、皮相的、虚飾的、有害的な方面に蓄積し交換せられる結果となり、これを蓄積し交換する手段方法においても、罪悪と不良行為とを敢てして愧じず、いわゆる経済学とか社会学とか商業道徳とかいう事は講壇の空文たるに留って毫も実際生活に行われていないのである。

 また日露の大戦争において敵味方とも多くの生霊と財力とを失ったという如き目前の大事実についても、日本の男子は唯その勝利を見て、かの戦争に如何なる意義があったか、如何なる効果をかの戦争の犠牲に由って持ち来したか、戦争の名は如何様に美くしかったにせよ、真実をいえば世界の文明の中心理想に縁遠い野蛮性の発揮ではなかったか、というような細心の反省と批判とを徐ろに考える人は少いのである。専制時代、神権万能時代にあっては、我我は少数の先覚者や権力者に屈従し、その命令のままに器械の如く働けばよかったのであるが、思想言論の自由を許されたる今日に、各個の人が自己の権利を正当に使用しないのは文明人の心掛に背いたことである。

 考えるという事を働くという事よりも卑しい事とし、または協立しがたき事のように思い、甚しきは有害なりとして排斥しようとする風は、今の官憲にも教育者にも父兄の間にも行われている。「広く智識を世界に求め云云」と仰せられた維新の御誓文を拝したる以後の国民は、何よりも思想を重んずべきはずであるのに、今なおそのような蛮風の遺っているのは困ったものである。近頃聞く所に由ると、社会主義者の中に或る大逆罪の犯人…

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