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階級闘争の彼方へ
かいきゅうとうそうのかなたへ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「与謝野晶子評論集」 岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年8月16日
初出「雄弁」1919(大正8)年9月
入力者Nana ohbe
校正者門田裕志
公開 / 更新2002-06-10 / 2014-09-17
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 人類が連帯責任の中に協力して文化主義の生活を建設し、その生活の福祉に均霑することが、人生の最高唯一の理想であると私は信じています。文化生活が或程度の成熟期に入れば、そこには個人の能力に適する正当な社会的分業の生活があるばかりで、只今のように、同じ人類の内に甲と乙とで利害を異にし、甲の幸福のためには乙の幸福を犠牲とせねばならず、従って甲と乙とはその境遇に由って人格価値に優劣を分ち、生活の機会と享楽とに差等を生じる、いわゆる階級思想の如きものは、全く一掃されてしまうでしょう。
 正当な社会的分業ということは、一切の人類が心的及び体的の実力を以て、文化生活の維持と増進とに必要な労作を分担することです。この労作には精神的のものもあり、物質的のものもありますが、前者が高等な労作であり、後者が劣等な労作であるという差別はありません。私は文化生活に役立つ上において等しく相対的の価値を持っているものであると考えます。自己の能力に応じ、自ら認めて受持つ所の分業ですから、何人もその分業に特権を要求する者もなく、また役不足をいう者もありません。これまでは経済的労作を以て精神的労作よりも劣ったもの、もしくは第二次的のものとし、あるいは前者は後者の生活の手段であるという風に卑下して考えていました。私はこの労作のいずれかの一方を欠いた文化生活というものが成立しようとは思いません。文化生活の内容は当然この二つの労作を要素としているものです。二つながら手段でなくて目的です。
 文化主義の生活を実現する社会には、一人としてこの労作の義務を負担しないものはありません。この義務を生存の権利として要求します。何人からも強いられず、何人にも強いず、各自が自発的に権利として要求する所の社会的奉仕です。かくする事に由って、人は互に自己の個人的存在の理由を充実し、生き甲斐のある人生を享楽するのです。

       *

 人類の感情は次第にこの文化主義の実現に向って傾動しています。しかしこれに逆行する反対の利己的感情がまだ多分に残っていますから、最近の大戦のような文化生活の破壊を試みる一大蛮行が突如として発生もしましたが、人は到底野獣の生活に還元されるものでなく、かえってこの大戦から受けた刺戟に由って、世界は一つの大きな自覚を加え、――それはあたかも大火に遭った都会が、その莫大な災厄に由って建築の上にかねて計画していた新しい理想を実現する機会を見出し、都会の面目を一新するように――文化生活の方へ在来の生活を急に躍進させるのに必要な一つの転機を作ったと思います。
 その中にも最も偉大な自覚であると思うのは、民衆が自己の個性の威厳と力量とに、一層顕著に目覚めて来たことです。例えば労働者がその集団を以てすれば、資本家階級に対抗して優に対等の争闘的実力を成立し、久しく従属的奴隷的の階級として資本家の圧迫の下に…

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