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婦人指導者への抗議
ふじんしどうしゃへのこうぎ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「与謝野晶子評論集」 岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年8月16日
初出「雄弁」1920(大正9)年1月
入力者Nana ohbe
校正者門田裕志
公開 / 更新2002-06-10 / 2014-09-17
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私たち日本婦人は一九一九年において破天荒な刺戟を受けました。それは私たちが世界に触れると共に未来に触れたことです。久しく家庭と因習との窮屈な中に機械的の存在者であった私たちが、一躍して世界の生活に接触し、未来の生活理想と交渉するに到ったことは驚くべき激変と言わねばなりません。
 その一九一九年も今は過去に属してしまいました。そして私たちがこの新春を迎えることは、最早見苦しい旧吾を重ねることでなくて、ひたすらみずみずしい新吾を自ら生むことであると思います。
 私たちは久しい間の、過去の屈従し現状を維持する生活に飽き飽きしました。それは人間性の無限の発芽を圧抑して、唯だ非人格的の存在を続けるだけの生活でした。私たちは既に朧ろげながらにもせよ、人間として感ずべく知るべき事の幾分を感じかつ知りました。私たちの生活――ほんとうに生活の名に値する生活は文化価値を実現する過程そのものでなくてはなりません。私たちは現在が如何に不完全であっても、この現在の中に絶えず未来へ伸びる人格の芽を持っていることを自負します。この人格発展の可能を信じその実現に努力することに由って、現状を打破しつつ併せて未来を招き寄せつつ、文化主義の生活の中に幾度も幾度も自己を自ら焚き、自ら新生したいと思います。

       *

 私たちは今、自己と周囲とをじっと正視します。私たちは迷信の徒でもなく、奴隷でもなく、人形や機械でもないのですから、あらゆる物事に自由討究と自由批判との眼を向けます。
 そうして因習的な価値判断から一切を解放して、改めて新しい価値を、私たちのものである新しい合理的標準に由って定め、すべての秩序を正しき価値に由って配列しようと努力します。いわゆる改造の順序は、第一に生活価値の改造、即ち新しい理想の発見であり、第二に生活様式の改造即ち新しい秩序の構成という順序でなくてはなりません。

       *

 私は生活の新しい理想を文化主義に発見し、生活を以て文化主義実現の過程とする者です。この事は既に他の機会で幾たびも述べました。従って私は、文化価値から絶縁した一切の事件を悉く私たちの生活の目的と幸福とを裏切るものとして排斥します。名は如何に美くしそうであっても、その精神が文化価値を持たずもしくは文化価値を持つことが微弱なものであれば、私はそれを拒むことに厳正な態度を取ろうと思います。いわゆる「妥協」とは、この態度を曖昧にする臆病を意味する言葉だと思います。今は私たち一人でも生きて行くだけの確信があるのに、そのうえ世界の道理が国際的正義の名を以て私たちに味方し声援する時代です。私たち婦人は今更小鳥の如く臆病であってはならないと思います。

       *

 私は茲に少しばかり、我国の婦人界における指導者側の婦人たちに対して不満に思う所を述べようと思います。最近において私たち…

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