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歴史上より観たる南支那の開発
れきしじょうよりみたるみなみしなのかいはつ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「桑原隲藏全集 第一卷 東洋史説苑」 岩波書店
1968(昭和43)年2月13日
初出「雄辯 第十卷第五號」1919(大正8)年4月
入力者はまなかひとし
校正者菅野朋子
公開 / 更新2002-02-26 / 2014-09-17
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

この論文を讀む人は、更に大正十四年十二月發行の『白鳥博士還暦記念東洋史論叢』中に收めた拙稿「歴史上より觀たる南北支那」(本全集[#「桑原隲蔵全集」]第二卷所收)を參照ありたい。

         一

 支那には古來南北の區別があつて、風俗・人情・地味・物産等百般に渉つて、顯著なる相違を有して居る。この南北の區別を基礎として、歴史上より南支那開發の蹟をたづぬることは、可なり興味深い問題と思ふ。
 一體支那の古代に於て、純支那人ともいふべき漢族の根據地は、黄河流域の北支那に限つたものである。彼等はその根據地を中國とか中夏とか、又は華夏とか誇稱したが、そは今の河南省を中心とした北支那の異名に過ぎぬ。當時揚子江沿岸の南支那は、蠻夷の域として擯斥されて居つた。
 春秋戰國にかけて約五百年間は、支那の文化の絢爛を極めた時代であるが、その時代に出た文武の大人物を見渡すと、皆北支那の産で、南支那人は殆ど見當らぬ。例へば儒家の孔子・子思・孟子・荀子の如き、道家の老子・列子・莊子の如き、兵家の孫・呉二子の如き、縱横家の蘇秦・張儀の如き、その他管仲も墨[#挿絵]も楊朱も韓非も、皆北支那の人である。南支那には之に比敵すべき一個の大人物をも見出し難い。
 秦の始皇帝や、漢の武帝が、南方經營に力を盡くし、この方面に漢族の移住する者多きを加ふると共に、南支那の風氣は幾分開發されて來たけれど、漢代の諺にも、關西出レ將、關東出レ相とある通り、文武の大人物はみな函谷關(河南省)の左右に當る北支那から出て來た。始めて漢と西域(中央アジア)との交通を開いて、その功績をさをさ新大陸發見のコロンブスにも比較される、張騫は漢中(陝西省)の人、支那史學の開祖で、支那のヘロドトスと呼ばれる司馬遷は龍門(陝西省)の人、訓詁學の大家で、一部の經學者から孔子以上に尊崇された鄭玄は北海(山東省)の人、支那嫌で有名な平田篤胤すら、孔子以後唯有二孔明一とて、その完全無缺の人格を推奬措かざる諸葛亮(孔明)は、瑯邪(山東省)の人、何れも北支那に屬する。兩漢三國時代を通じて、文化の中樞が依然北支那に存したことは、否定することが出來ぬ。
 然るに今より約千六百年前に、匈奴・羯・鮮卑・[#挿絵]・羌等の所謂五胡と稱する塞外種族、或は之に烏丸を加へて六夷と稱する塞外種族が、北支那を占領して、漢族の建てた晉室は、彼等の爲に、洛陽(河南省)、長安(陝西省)の舊都を奪はれ、揚子江の南の建康(江蘇省)に都を移して、東南半璧の天地に東晉を建設することとなつた。かくて古來漢族の根據地で、同時に文化の中心點であつた北支那が、爾後三百年間、殺伐野蠻な塞外諸族に占領さるると共に、彼等の支配の下に、漢族は多大の輕悔と虐待を受けたこと申す迄もない。彼等は漢族を斥けて漢狗といひ、又一錢漢といふ。漢とは漢族(支那人)のことで、漢狗とは狗同樣の漢人といふ…

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