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鮭の祟
さけのたたり
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の怪談(二)」 河出文庫、河出書房新社
1986(昭和61)年12月4日
入力者Hiroshi_O
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2003-08-13 / 2014-09-17
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 常陸と下総との間を流れた大利根の流れは、犬吠崎の傍で海に入っている。それはいつのことであったか判らないが、未だ利根川に数多の鮭が登って鮭漁の盛んな比のことであった。銚子に近い四日市場と云う処に貧しい漁師があって、鮭の期節になると、女房を対手にして夜の目も寝ずに鮭を獲っていた。
 利根川の口に秋風が立って、空には日に日に鱗雲が流れた。もう鮭の期節が来たのであった。貧しい漁師は裏の網小屋の中にしまってあった鮭網を引き出して来て、破れ目を繕い、網綱を新らしくして、鮭の登るに好い潮時を覘っていると、やがてその潮時が来た。で、翌日のしらじら明けに網を入れようと思ってその用意をした。
 夜になると漁師は、明日の縁起祝いだと云って、女房に蕎麦切をこしらえさして、それで二三合の酒を飲んでいた。簷端には星が光って虫の声がしていた。
「明日はまだ他に網をやる者はなかろうが、好い潮時だ、うんと獲れるぞ」
 漁師は膳の前に坐って蕎麦切を喫っている女房に、こんなことを云って、網の袋に充満になって来る大きな鮭を想像していた。
「そんなに獲れてくれると好いが、どうだか」と、女房は的にしていないらしい。
「いや獲れる、この潮時に獲れずにいつ獲れる、見ておれ」
「それでも、未だ早いじゃないか」
「早いことがあるもんか、去年は十日も早かったじゃないか」
 人の気配がして入口へ旅僧が来て立った。明りにと焼いてある松の火がぼんやりと鼠色の法衣を照らした。
「や、お坊さんじゃ、鮭の前祝いに一杯やりよるところじゃが」と、漁師は女房の方を顧みて、「その蕎麦切でも進ぜたらどうじゃ」
 女房は蕎麦切を椀に盛って出した。
「これは有難い」と、旅僧は押し戴くように受け、竹の簀子を敷いた縁端に腰をかけて、「蕎麦切の御馳走はありがたいが、鮭を獲る前祝いだと思うと、鮭に気の毒じゃ、どうだな、鮭を獲ることをやめては」
 漁師は笑いだした。
「鮭を獲るのを気の毒じゃと云うてやめたら、こちとら夫婦が餓死せにゃならん」
「それもそうじゃが、物の生命をとるのは殺生じゃ、決して好い報いは来ない」
「好い報いが来ないと云うても、親譲りの漁師じゃ、他にしようもないことじゃ」
「それもそうじゃが、せめてこの二三日でも、やめたらどうじゃ」
「二三日位ならやめても好いが、二三日魚を獲らなかったところで、その後で獲りゃあ同じことじゃないか」
「そうじゃない、この二三日の潮時に、多くの鮭は皆登るから、それでも罪業が軽くなるわけじゃ」
「お坊さんは、この二三日の潮時に、鮭の登ると云うことを、どうして知っているのじゃ」
「そんなことは、私には、ちゃんと判っている」
「それじゃ私の睨みも当っているのじゃ」と、漁師は喜んだが、旅僧の詞も気にかからない事はない。
「だから二三日はやめるが好いだろう」
 漁師は黙っていた。旅僧はやっと蕎麦切を喫いはじめ…

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