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沁々した愛情と感謝と
しみじみしたあいじょうとかんしゃと
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「新潮」1917(大正6)年12月号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-11-03 / 2014-09-18
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




「禰宜様宮田」が、いつか単行本になる時があったら、是非云い添えたいと思っていたことを書きます。
 あれは、そんなに大して大きなものでもなかったのに、非常に沢山の欠点を持っています。其等の欠点に対しての自分は、真個に何処までも謙譲ではありますけれども、此頃になって、あの作は私の一生の生活を通してかなり大切なものになって来ました。そして、その大切なものとなった原因は、自分にとってあの作を、彼程満足出来ないものとした全く同様な「其等の欠点」なのです。
 コンポジションの上の不完全さはともかくも、あの作にはそれ以前のどれにもなかったに違いない、またよしあったにしろあんなに明かではなかった思想上の、多くの矛盾や、躊躇や、不徹底さのあるのは確かです。なんだかしんがムズムズしているようです。
 全体に漲っているその動揺が、あれから半年経った今の私にとって、ああ大事だったと思わせるようになって来たのです。
 あれを書いたことによって、必然的な思想上の疑問が、かなり明瞭な形式をとって思索の対象となり、或る意味から云えば進んだ次の一点へ自分を動かしてくれたのを、大層有難く思っているのです。
 その詳しいことを、今ここで説明したくありませんから、この大切さ嬉しさも、極く主観的なものではあります。
 けれども、或る旅行者が或る者をグングン行ったら二道の岐れ目に出てしまって、随分種々と心を苦しめはしたが、漸々まあこれならいい道を選んだ自分を見出した時、彼がその辻に於ての苦痛や混乱や不決定さに就て感じるに違いない、或るしみじみとした愛情と感謝とを、今私は「禰宜様宮田」に感じているということだけを申して置きます。
〔一九一七年十二月〕



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