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追慕
ついぼ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「大横浜」1920(大正9)年2月号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-11-03 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 今日は心持の好い日だ。
 空がくっきりと晴れ渡って、刷き寄せられるような白雲が、青い穂先の楡の梢を掠めて、彼方の山並の間に畳まって行く。
 凝と坐って耳を傾けると、目の下の湖では淡黄色い細砂に当って溶ける優婉な漣の音が、揺れる楊柳の葉触れにつれて、軽く、柔く、サ……、サ……、と通って来る。心持のよい日だ。
 私の周囲を取繞く総てのものは、皆七月の太陽を身に浴びて嬉々として輝やいている。田舎らしい単純と、避暑地のもつ軽快な華美とが見えない宙で溶け合って、一種の氛囲気を作っている此処では、人間の楽しい魂が、何時も花の咲く野山や、ホテルの白い水楼で古風なワルツを踊っているような気がする。
 濃碧の湖には笑を乗せて軽舸が浮く。街道の古い並木の下では赤い小猿が、手提琴の囃子につれて、日は終日帽子を振る。銀灰色の猫の児は今日も私のポーチで居睡っているだろう。
 周囲は陽気で健康で、美しい。けれども今日は心が淋しい。重い苦しい寂寥では無い。今日の空気のように平明な心が、微かながら果もなく流れ動く淋しさである。
 隅から隅まで小波も立てずに流れる魂の上に、種々の思いが夏雲のように湧いて来る。真個に――。考えではない、思いである。
 歌を詠みたい。けれども私に歌は出来ない。其故斯うして散文を書いて見る。今の私の心持には、此の散文も詩に近いような思いの律動を以て浮んで来るのである。

 魂が洗練されない事は恐ろしい。人にも、自分にも沢山の見える見えない悲劇を与える。自分の為に或る幾つかの魂が苦しみ、歎き、沈黙の忍従に頭垂れていても、知らなければ解らない。無智は不明は、敵意の無い挑戦者である。
 魂の深みを顧みて見ると、そういう風な悔恨を沁々と味わずには居られない。
 此は決して郷愁がさせる業でもなければ、感傷主義の私生児でもない。其は確だ。一つでも、その半片でも、人間が受けている、或は受けなければならない苦難を知ると、その一点を中心として四囲に発散している種々の光彩を見、感じる事が出来るように成るのではあるまいか、私の魂が粗野で、先頃までは鈍かった感触が此頃漸々有るべき発育を遂げたらしい心持がする。人間が次第次第に、その五体的の複雑性を増して来る。ありがたい事だと思う。
 彼の時分に、自分も受け、人にも授けた苦痛の数々が、如何か無駄では無いように成って欲しいと思う。如何な意味に於ても、自分に受けたものはきっと自分の裡の何かに成っている。だからよい。けれども人に与えられたものは謝したい。謝さずにはいられない心持がする。そういう人々の裡には愛すべき両親もいる。其他二三の人もいる。皆の生活が真実で、真剣で、あるべきようにあればよいな、と思う。静謐な祈願である。

「天心たかく――まぶたひたと瞑ぢて――気澄み 風も死したり
 あゝ善良き日かな
 双手はわが神の聖膝の上にあらむ」
 天…

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