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母となる
ははとなる
作品ID369
著者福田 英子
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆42 母」 作品社
1986(昭和61)年4月25日
入力者もりみつじゅんじ
校正者菅野朋子
公開 / 更新2000-06-01 / 2014-09-17
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一 姙娠
 是より先き妾の尚ほ郷地に滞在せし時、葉石との関係につき他より正式の申込あり、葉石よりも直接に旧情を温めたき旨申来るなど、心も心ならざるより、東京なる重井に柬して其承諾を受け、父母にも告げて再び上京の途に就きしは廿二年七月下旬なり。此頃より妾の容体尋常ならず、日を経るに従ひ胸悪く頻りに嘔吐を催しければ、扨はと心に悟る所あり、出京後重井に打明て、郷里なる両親に謀らんとせしに彼は許さず、暫らく秘して人に知らしむる勿れとの事に、妾は不快の念に堪へざりしかど、斯る不自由の身となりては、今更に詮方もなく、彼の言ふが儘に従ふに如かずと閑静なる処に寓居を構へ、下婢と書生の三人暮しにていよ/\世間婦人の常道を歩み始めんとの心構へなりしに、事実は之に反して、重井は最初妾に誓ひ、将た両親に誓ひしことをも忘れし如く、妾を遇すること彼の口にするだも忌はしき外妾同様の姿なるは何事ぞや。如何なる事情あるかは知らざれども、妾を斯る悲境に沈ましめ、殊に胎児にまで世の謗りを受しむるを慮らずとは、是れをしも親の情といふべきかと、会合の都度切に言聞えけるに、彼も流石に憂慮の体にて、今暫らく発表を見合し呉れよ、今郷里の両親に御身懐胎の事を報ぜんには、両親とても直ちに結婚発表を迫らるべし、発表は容易なれども、自分の位地として、又御身の位地として相当の準備なくては叶はず、第一病婦の始末だに、尚付きがたき今日の場合、如何ともせんやうなきを察し給へ。目下弁護事務にて頗る有望の事件を担当し居り、此事件にして成就せば、数万の報酬を得んこと容易なれば、其上にて総て花々しく処断すべし、何卒暫しの苦悶を忍びて、胎児を大切に注意し呉れよと他事もなき頼みなり。素より彼を信ずればこそ此百年の生命をも任したるなれ、斯くまで事を分けられて、尚ほしも[#挿絵]は偽りならん、一時遁れの間に合せならんなど、疑ふべき妾にはあらず、他日両親の憤りを受くるとも、言ひ解く術のなからんやと、事に托して叔母なる人の上京を乞ひ、事情を打明けて一身の始末を托し、只管胎児の健全を祈り、自から堅く外出を戒めし程に、景山は今何処に居るぞ、一時を驚動せし彼の女の所在こそ聞まほしけれなど、新聞紙上にさへ謳はるゝに至りぬ。
二 分娩、奇夢
 その間の苦悶そも幾何なりしぞや。面白からぬ月日を重ねて翌廿三年三月上旬一男子を挙ぐ。名はいはざるべし、悔ある堕落の化身を母として、明らさまに世の耳目を惹かせんは、子の行末の為め、決して好き事にはあらざるべきを思うてなり。唯だその命名につきて一場の奇談あり、迷信の謗り免かれずとも、事実なれば記しおくべし。其子の身に宿りしより常に殺気を帯べる夢のみ多く、或時は深山に迷ひ込みて数千の狼に囲まれ、一生懸命の勇を鼓して、其首領なる老狼を引倒し、上顎と下顎に手をかけて、口より身体までを両断せしに、他の狼児は狼狽して悉く遁失…

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