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戯作三昧
げさくざんまい
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」 筑摩書房
1968(昭和43)年8月25日
初出「大阪毎日新聞」1917(大正6)年11月
入力者j.utiyama
校正者かとうかおり
公開 / 更新1999-01-16 / 2014-09-17
長さの目安約 41 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

       一

 天保二年九月の或午前である。神田同朋町の銭湯松の湯では、朝から不相変客が多かつた。式亭三馬が何年か前に出版した滑稽本の中で、「神祇、釈教、恋、無常、みないりごみの浮世風呂」と云つた光景は、今もその頃と変りはない。風呂の中で歌祭文を唄つてゐる嚊たばね、上り場で手拭をしぼつてゐるちよん髷本多、文身の背中を流させてゐる丸額の大銀杏、さつきから顔ばかり洗つてゐる由兵衛奴、水槽の前に腰を据ゑて、しきりに水をかぶつてゐる坊主頭、竹の手桶と焼物の金魚とで、余念なく遊んでゐる虻蜂蜻蛉、――狭い流しにはさう云ふ種々雑多な人間がいづれも濡れた体を滑らかに光らせながら、濛々と立上る湯煙と窓からさす朝日の光との中に、糢糊として動いてゐる。その又騒ぎが、一通りではない。第一に湯を使ふ音や桶を動かす音がする。それから話し声や唄の声がする。最後に時々番台で鳴らす拍子木の音がする。だから柘榴口の内外は、すべてがまるで戦場のやうに騒々しい。そこへ暖簾をくぐつて、商人が来る。物貰ひが来る。客の出入りは勿論あつた。その混雑の中に――
 つつましく隅へ寄つて、その混雑の中に、静に垢を落してゐる、六十あまりの老人が一人あつた。年の頃は六十を越してゐよう。鬢の毛が見苦しく黄ばんだ上に、眼も少し悪いらしい。が、痩せてはゐるものの骨組みのしつかりした、寧いかついと云ふ体格で、皮のたるんだ手や足にも、どこかまだ老年に抵抗する底力が残つてゐる。これは顔でも同じ事で、下顎骨の張つた頬のあたりや、稍大きい口の周囲に、旺盛な動物的精力が、恐ろしい閃きを見せてゐる事は、殆壮年の昔と変りがない。
 老人は丁寧に上半身の垢を落してしまふと、止め桶の湯も浴びずに、今度は下半身を洗ひはじめた。が、黒い垢すりの甲斐絹が何度となく上をこすつても、脂気の抜けた、小皺の多い皮膚からは、垢と云ふ程の垢も出て来ない。それがふと秋らしい寂しい気を起させたのであらう。老人は片々の足を洗つたばかりで、急に力がぬけたやうに手拭の手を止めてしまつた。さうして、濁つた止め桶の湯に、鮮かに映つてゐる窓の外の空へ眼を落した。そこには又赤い柿の実が、瓦屋根の一角を下に見ながら、疎に透いた枝を綴つてゐる。
 老人の心には、この時「死」の影がさしたのである。が、その「死」は、嘗て彼を脅したそれのやうに、忌はしい何物をも蔵してゐない。云はばこの桶の中の空のやうに、静ながら慕はしい、安らかな寂滅の意識であつた。一切の塵労を脱して、その「死」の中に眠る事が出来たならば――無心の子供のやうに夢もなく眠る事が出来たならば、どんなに悦ばしい事であらう。自分は生活に疲れてゐるばかりではない。何十年来、絶え間ない創作の苦しみにも、疲れてゐる。……
 老人は憮然として、眼を挙げた。あたりではやはり賑な談笑の声につれて、大ぜいの裸の人間が、目まぐるしく湯気…

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