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印象
いんしょう
作品ID3700
副題九月の帝国劇場
くがつのていこくげきじょう
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「新演芸」1921(大正10)年10月号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-11-06 / 2014-09-18
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 久し振りで女優劇を観る。
 番組に一通り目を通しただけでも、いつもながら目先の変化に苦心してある様子が窺われる。一番目「恋の信玄」から始って、チェーホフの喜劇「犬」に至る迄、背景として取入れられている外国の名を列挙したばかりでも、相当なヴァラエティーは予期されよう。併し、全体として、見物は、その大がかりな規模にふさわしい深い感銘を、観覧後まで心に与えられたであろうか。
 自分としてはかなり物足りなかった。勿論、退屈な時、手当り次第に雑誌でも繙くように其場かぎりな、相手にも自分にも責任をもたない気分で目だけ楽しませようと云うのならば何も云うべきことはない。けれども、現在は兎に角、将来の長い時間の為に、女優劇は、今のような、一段、気を許した雰囲気にあることは慶ぶべきことではないと思う。真個に気を入れて見て、其でうんと云わせる舞台が、女優独特の実力で創造されて欲しいのである。
 自分が終りまで遂にたんのう出来なかった原因の一つは、脚本そのものが余り光彩陸離たるものでなかったことと、二つには、演出する俳優の心の態度が、ぴったりと自分の胸に響いて来なかったことである。
 一番目「恋の信玄」などは、早苗姫が自殺してからの信玄の心理的経路が鮮明に描かれていなかったらしい為に、肝心の幕切れで、信玄と云う人格、早苗姫の死が、一向栄えないものになったように見える。
 作者は、所々で、信玄を、英雄的概念から脱した人間らしい一性格として扱おうとしているらしい暗示を感じさせる。同じ早苗姫を我ものとする為には親子の離反を厭わず、家国の安危を度外視するにしても、従来のように其動機を只外面からのみ照して、信玄とも云われようものが、何、仕て出来ないことがあろうかと云う名に動かされた行為とはせず、彼時代の圏境の裡に武将として育った一人の人間が、一旦思い込んだら、是が非でも其を通さずには止まない性格的悲劇を捕えようとしたらしい節々が、傅役虎昌の科白のうちにも仄めかされているのである。
 けれども、舞台に現れただけでは、決して其企図が徹底されているとは思われない。早苗姫が、真個にいとしかったのだが、万事が逆転して子には叛かれ、愛人には怨死されるのか、其とも、只、我ものになるからには飽くまでも服させずには置かない故に口説いたのか。若し、心から愛していたのなら、早苗姫が胸を貫いて死んだ刀の血を拭わせずに鞘に納めることもあり得ようが、忽ち、将軍になろうとしての上洛の途につく決心をするのは何故か?
 作者が、私の想像するように、早苗を真心から愛したく思っていたのに、彼の性格的な運命から事は悉く失敗し、最後に彼を捕えたのは、愛でもなく、沈思でもなく、何処までも彼を追い立てて行く武将の野心であったとするならば、最後の一句は、決して、其心をしみじみと味わせるだけの実感を漲らしてはいなかった。
 稍々誇張して云…

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