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追想
ついそう
作品ID3715
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「婦人之友」1922(大正11)年6月号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-11-09 / 2014-09-18
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 去年のちょうど今頃、自分は、福島に在る祖母の家に行っていた。暫く東京を離れ、子供の時分から馴染深い田園の裡に静かな時を過したいと思ったのである。行って、一週間も経ったかと思う頃、K町の家から転送された沢山の書簡に混って、一つ、私には判らない葉書が来た。
 差出人は、同級会幹事の誰それとしてあり、宛名は、まぎれもない自分だ。けれども、内容がはっきり心に写らない。文句は、深田様がお産で去月何日死去されましたから、御悔みのしるしに何か皆で買ってあげたい、一円以上三円位まで御送り下さい、というのである。
 広い耕地を見晴す縁側の柱の下に坐り、自分は、幾度も、幾度も繰返して文面を見た。第一、なくなられたという深田という人が、誰であったか、どうしても思い出せない。女学校を出てから、殆ど五年ばかりになる。学校にいた時分と同じ姓なら、いくら、人の姓名に対して記憶の薄い自分も、これほど忘れ切ることはないだろう。ところが、卒業後五六年迄の間に、何という友達の苗字の変ることか。一人一人と結婚し、一人一人と、変った姓で呼ばれることになる。結婚してから幾年か経ちでもすれば、良人の姓にも馴れ、記憶に刻まれるのだけれども、今迄、呼びなれていた友の名が、何時の間にかまるで違ったものになり、前に現れると、自分は、すっかりまごついてしまう。また、誰でも、一々友達じゅうに、自分の結婚を告げ歩く人はいない。時には、十人の中四人も知らないうちに、その人の名は、すっかり異ったものになっていたという有様なのである。
 勿論深田さんという人も、同級会の幹事が知らせて来る以上、組の中の一人であったには相違ない。誰だろう。お産で死なれたとは気の毒に思う。誰だろう。――考えても、当が付かない。
 自分はちっとも心に誰という明かな感じもなく、従って、真面目にさほどの悲しみをも感じない空な名に、御香奠を送る気にはなれなかった。何だか嘘で、自分はただ出せと云われた金を出したという心持ばかりがする。
 漠然と、誰かが死んだというだけの感で、私はそのままにしておいた。他に迫った用事があり、夜はもうすっかりそのことを忘れていたのである。
 それから一ヵ月ほどそこに滞在して帰京して間もなく、級会があった。私は、正月から、まだその年は一度も出席していない。余り御無沙汰になるので、雨の降る中を出かけて行った。そして、皆の、賑やかな、笑い、喋る姿を見ると、ふと自分の心に、先達っての名が浮んで来た。私は、幹事をしていた人に、
「先達ってのお葉書ね、私、深田さんという方が、どなただか、まるで分らないからあのままにしてしまったけれど。どなた?」と訊いた。
「ああ。おつやさんなのよ」
 友は、非常に力を入れて返事をした。
「おつやさんが去年の初お嫁にいらっしゃって、深田さんとおなりになったの」
「まあ! おつやさんなの? まあ……」
「…

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