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骨董羹
こっとうかん
副題―寿陵余子の仮名のもとに筆を執れる戯文―
―じゅりょうよしのかめいのもとにふでをとれるげぶん―
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」 筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日
入力者土屋隆
校正者松永正敏
公開 / 更新2007-07-16 / 2014-09-21
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     別乾坤

 Judith Gautier が詩中の支那は、支那にして又支那にあらず。葛飾北斎が水滸画伝の[#挿絵]画も、誰か又是を以て如実に支那を写したりと云はん。さればかの明眸の女詩人も、この短髪の老画伯も、その無声の詩と有声の画とに彷弗たらしめし所謂支那は、寧ろ[#「寧ろ」は底本では「寧ろ」]彼等が白日夢裡に逍遙遊を恣にしたる別乾坤なりと称すべきか。人生幸にこの別乾坤あり。誰か又小泉八雲と共に、天風海濤の蒼々浪々たるの処、去つて還らざる蓬莱の蜃中楼を歎く事をなさん。(一月二十二日)

     軽薄

 元の李※[#「行がまえ<干」、69-上-16]、文湖州の竹を見る数十幅、悉意に満たず。東坡山谷等の評を読むも亦思ふらく、その交親に私するならんと。偶友人王子慶と遇ひ、話次文湖州の竹に及ぶ。子慶曰、君未真蹟を見ざるのみ。府史の蔵本甚真、明日借り来つて示すべしと。翌日即之を見れば、風枝抹疎として塞煙を払ひ、露葉蕭索として清霜を帯ぶ、恰も渭川淇水の間に坐するが如し。※[#「行がまえ<干」、69-下-4]感歎措く能はず。大いに聞見の寡陋を恥ぢたりと云ふ。※[#「行がまえ<干」、69-下-5]の如きは未恕すべし。かの写真版のセザンヌを見て色彩のヴアリユルを喋々するが如き、論者の軽薄唾棄するに堪へたりと云ふべし。戒めずんばあるべからず。(一月二十三日)

     俗漢

 バルザツクのペエル・ラシエエズの墓地に葬らるるや、棺側に侍するものに内相バロツシユあり。送葬の途上同じく棺側にありしユウゴオを顧みて尋ぬるやう、「バルザツク氏は材能の士なりしにや」と。ユウゴオ[#挿絵]吁として答ふらく「天才なり」と。バロツシユその答にや憤りけん傍人に囁いて云ひけるは、「このユウゴオ氏も聞きしに勝る狂人なり」と。仏蘭西の台閣亦這般の俗漢なきにあらず。日東帝国の大臣諸公、意を安んじて可なりと云ふべし。(一月二十四日)

     同性恋愛

 ドオリアン・グレエを愛する人は Escal Vigor を読まざる可からず。男子の男子を愛するの情、この書の如く遺憾なく描写せられしはあらざる可し。書中若しこれを翻訳せんか。我当局の忌違に触れん事疑なきの文字少からず。出版当時有名なる訴訟事件を惹起したるも、亦是等艶冶の筆の累する所多かりし由。著者 George Eekhoud は白耳義近代の大手筆なり。声名必しもカミユ・ルモニエエの下にあらず。されど多士済々たる日本文壇、未この人が等身の著述に一言の紹介すら加へたるもの無し。文芸豈独り北欧の天地にのみ、オウロラ・ボレアリスの盛観をなすものならんや。(一月二十五日)

     同人雑誌

 年少の子弟醵金して、同人雑誌を出版する事、当世の流行の一つなるべし。されど紙代印刷費用共に甚廉ならざる今日、経営に苦しむもの亦少からず。伝へ聞く…

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