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続野人生計事
ぞくやじんせいけいごと
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」 筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日
入力者土屋隆
校正者松永正敏
公開 / 更新2007-08-09 / 2014-09-21
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     一 放屁

 アンドレエフに百姓が鼻糞をほじる描写がある。フランスに婆さんが小便をする描写がある。しかし屁をする描写のある小説にはまだ一度も出あつたことはない。
 出あつたことのないといふのは、西洋の小説にはと云ふ意味である。日本の小説にはない訣ではない。その一つは青木健作氏の何とかいふ女工の小説である。駈落ちをした女工が二人、干藁か何かの中に野宿する。夜明に二人とも目がさめる。一人がぷうとおならをする。もう一人がくすくす笑ひ出す――たしかそんな筋だつたと思ふ。その女工の屁をする描写は予の記憶に誤りがなければ、甚だ上品に出来上つてゐた。予は此の一段を読んだ為に、今日もなほ青木氏の手腕に敬意を感じてゐる位なものである。
 もう一つは中戸川吉二氏の何とか云ふ不良少年の小説である。これはつい三四箇月以前、サンデイ毎日に出てゐたのだから、知つてゐる読者も多いかも知れない。不良少年に口説かれた女が際どい瞬間におならをする、その為に折角醸されたエロチツクな空気が消滅する、女は妙につんとしてしまふ、不良少年も手が出せなくなる――大体かう云ふ小説だつた。この小説も巧みに書きこなしてある。
 青木氏の小説に出て来る女工は必しもおならをしないでも好い。しかし中戸川氏の小説に出て来る女は嫌でもおならをする必要がある。しなければ成り立たない。だから屁は中戸川氏を得た後始めて或重大な役目を勤めるやうになつたと云ふべきである。
 しかしこれは近世のことである。宇治拾遺物語によれば、藤大納言忠家[#「ルビの「とうだいなごんただいへ」は底本では「とうだいなごんだたいへ」]も、「いまだ殿上人におはしける時、びびしき色好みなりける女房ともの云ひて、夜更くるほどに月は昼よりもあかかりけるに」たへ兼ねてひき寄せたら、女は「あなあさまし」と云ふ拍子に大きいおならを一つした。忠家はこの屁を聞いた時に「心うきことにも逢ひぬるかな。世にありて何かはせん。出家せん」と思ひ立つた。けれども、つらつら考へて見れば、何も女が屁をしたからと云つて、坊主にまでなるには当りさうもない。忠家は其処に気がついたから、出家することだけは見合せたが、[#挿絵][#挿絵]その場は逃げ出したさうである。すると中戸川氏の小説も文学史的に批評すれば、前人未発と云ふことは出来ない。しかし断えたるを継いだ功は当然同氏に属すべきである。この功は多分中戸川氏自身の予想しなかつたところであらう。しかし功には違ひないから、序に此処に吹聴することにした。

     二 女と影

 紋服を着た西洋人は滑稽に見えるものである。或は滑稽に見える余り、西洋人自身の男振などは滅多に問題にならないものである。クロオデル大使の「女と影」も、云はば紋服を着た西洋人だつたから、一笑に付せられてしまつたのであらう。しかし当人の男ぶりは紋服たると燕尾服たると…

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