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西洋画のやうな日本画
せいようがのようなにほんが
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」 筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日
入力者土屋隆
校正者松永正敏
公開 / 更新2007-07-22 / 2014-09-21
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




 中央美術社の展覧会へ行つた。
 行つて見ると三つの室に、七十何点かの画が並んでゐる。それが皆日本画である。しかし唯の日本画ぢやない。いづれも経営惨憺の余になつた、西洋画のやうな日本画である。まづ第一に絹や紙へ、日本絵具をなすりつけて、よくこれ程油絵じみた効果を与へる事が出来たものだと、その点に聊敬意を表した。
 そこで素人考へに考へて見ると、かう云ふ画を描く以上、かう云ふ画の作者には、自然がかう云ふ風に見えるのに違ひない。逆に云へばかう云ふ風に自然が見えればこそ、かう云ふ画が此処に出来上つたのだから、一応は至極御尤もである。が、素人はかう云ふ画を見ると、何故これらの画の作家は、絵具皿の代りにパレツトを、紙や絹の代りにカンヴアスを用ひないかと尋ねたくなる。その方が作者にも便利なら、僕等素人の見物にも難有くはないかと尋ねたくなる。
 しかしこれらの画の作者は、「我々には自然がかう見えるのだ。かう見えると云ふ意味は、西洋画風にと云ふ意味ぢやない。我々の日本画風にと云ふ意味だ」と、立派な返答をするかも知れない。よろしい。それも心得た。が、これらの画の中には、どう考へても西洋画と選ぶ所のない画が沢山ある。たとへば吉田白流氏の「奥州路」の如き、遠藤教三氏の「嫩葉の森」の如き、乃至穴山義平氏の「盛夏」の如きは、皆この類の作品である。もし「我々の日本画風」が、かう云ふものであるとすれば、それは遺憾ながら僕なぞには、余り結構なものとは思はれない。まづ冷酷に批評すると、本来剃刀で剃るべき髭を、薙刀で剃つて見せたと云ふ御手柄に感服するだけである。さうして一応感服した後では、或は剃刀を使つた方が、もつとよく剃れはしなかつたらうかと尋ねたくなるだけである。
 尤も七十何点かの画が、悉くこの種類だと云ふ次第ぢやない。たとへば畠山錦成氏の「貴美子」の如きは、少くともかう云ふ西洋かぶれの幣は受けてゐない作品である。如何に奇抜がつた所が、せめて此処までは漕ぎつけてゐないと、どうも僕等素人には、ちと新しい日本画としてのレエゾン・デエトルが覚束ないかと思ふ。もつと書きたい事もないではないが、何しろ原稿を受け取りに来た人が、玄関に待つてゐる始末だから、今度はまづこの辺で御免を蒙る事にする。悪口は岡目八目の然らしむる所以だと大目に見て頂きたい。(九・七・十八)



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