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解嘲
かいちょう
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」 筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日
入力者土屋隆
校正者松永正敏
公開 / 更新2007-07-13 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     一

 中村武羅夫君
 これは君の「随筆流行の事」に対する答である。僕は暫く君と共に天下の文芸を論じなかつた為めか、君の文を読んだ時に一撃を加へたい欲望を感じた。乃ち一月ばかり遅れたものの、聊か君の論陣へ返し矢を飛ばせる所以である。どうかふだんの君のやうに、怒髪を天に朝せしめると同時に、内心は君の放つた矢は確かに手答へのあつたことを満足に思つてくれ給へ。
 君は「凡そ芸術と云ふ芸術で、清閑の所産でないものはない筈だ」と云つてゐる。又「芸術などといふものはその本来の性質からして、清閑の所産であるべきものだとは思ふ」と云つてゐる。僕も亦君の駁した文の中に、「随筆は清閑の所産である。少くとも僅かに清閑の所産を誇つてゐた文芸の形式である」と云つた。これは勿論随筆以外に清閑は入らんと云つた訣ではない。「僅かに清閑の所産を誇つてゐた」と云ふのも事実上の問題に及んだだけである。まことに清閑は芸術の鑑賞並びにその創作の上には必要条件の一つに数へられなければならぬ。少くとも好都合の条件の一つに数へられなければならぬ筈である。この点は僕も君の説に少しも異議を述べる必要はない。同時に又君も僕の説に異議を述べる必要はない筈である。
 次に中村君はかう云つてゐる。「芥川氏は清閑は金の所産だと言ふ。が(中略)金のあるなしにかかはらず、現在のやうな社会的環境の中では清閑なんか得られないのである。金があればあるで忙しからう。金がなければないで忙しからう。清閑を得られる得られないは、金の有無よりも、寧ろ各自の心境の問題だと思ふ。」すると清閑なんか得られないと云つたのは必しも君の説の全部ではない。心境は兎に角金以外に多少の清閑を与へるのである。これも亦僕には異存はない。僕は君の駁した文の中にも、「清閑を得る前には先づ金を持たなければならない。或は金を超越しなければならない」とちやんと断つてある筈である。
 しかし中村君は不幸にも清閑を可能ならしめる心境以外に、清閑を不可能ならしめる他の原因を認めてゐる。「しかしもつと根本的なことは、社会的環境だと思ふ。電車や自動車や、飛行機の響きを聞き、新聞雑誌の中に埋もれながら、たとへ金があつたところで、昔の人人が浸つた「清閑」の境地なんか、とても得られるわけがない。」これは中村君のみならず、屡識者の口から出た、山嶽よりも古い誤謬である。古往今来社会的環境などは一度も清閑を容易にしたことはない。二十世紀の中村君は自動車の音を気にしてゐる。しかし十九世紀のシヨウペンハウエルは馭者の鞭の音を気にしてゐる。更に又大昔のホメエロスなどは轣轆たる戦車の音か何かを気にしてゐたのに違ひない。つまり古人も彼等のゐた時代を一番騒がしいと信じてゐたのである。いや、事実はそれ所ではない。自動車だの電車だの飛行機だのの音は、――或は現代の社会的環境は寧ろ清閑を得る為の必要…

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