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わが家の古玩
わがやのこがん
作品ID3798
著者芥川 竜之介
文字遣い新字旧仮名
底本 「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」 筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日
入力者土屋隆
校正者松永正敏
公開 / 更新2007-08-09 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 蓬平作墨蘭図一幀、司馬江漢作秋果図一幀、仙?作鐘鬼図一幀、愛石の柳陰呼渡図一幀、巣兆、樗良、蜀山、素檗、乙二等の自詠を書せるもの各一幀、高泉、慧林、天祐等の書各一幀、――わが家の蔵幅はこの数幀のみなり。他にわが伯母の嫁げる狩野勝玉作小楠公図一幀、わが養母の父なる香以の父龍池作福禄寿図一幀等あれども、こはわが一族を想ふ為に稀に壁上に掲ぐるのみ。陶器をペルシア、ギリシア、ワコ、新羅、南京古赤画、白高麗等を蔵すれども、古織部の角鉢の外は言ふに足らず。古玩を愛する天下の士より見れば、恐らくは嗤笑を免れざるべし。わが吉利支丹の徒の事蹟を記せるを以て、所謂「南蛮もの」を蔵すること多からんと思ふ人々もなきにあらざれども、われは数冊の古書の外に一体のマリア観音を蔵するに過ぎず。若しわれをしも蒐集家と言はば、張三李四の徒も蒐集家たるべし。然れどもわが友に小穴一游亭あり。若し千古の佳什を得んと欲すれば、必しもかの書画家の如く叩頭百拝するを須ひず。当来の古玩の作家を有するは或は古玩を有するよりも多幸なる所以なり。
 古玩は前人の作品なり。前人の作品を愛するは必しも容易の業にあらず。われは室生犀星の陶器を愛するを見、その愛を共にするに一年有半を要したり。書画、篆刻、等を愛するに至りしも小穴一游亭に負ふ所多かるべし。天下に易々として古玩を愛するものあるを見る、われは唯わが性の迂拙なるを歎ずるのみ。然れども文章を以て鳴るの士の蒐集品を一見すれば、いづれも皆古玩と称するに足らず。唯室生犀星の蒐集品はおのづから蒐集家の愛を感ぜしむるに足る。古玩にして佳什ならざるも、凡庸の徒の及ばざる所なるべし。
 われは又子規居士の短尺の如き、夏目先生の書の如き、近人の作品も蔵せざるにあらず。然れどもそは未だ古玩たらず。(半ば古玩たるにもせよ。)唯近人の作品中、「越哉」及び「鳳鳴岐山」と刻せる浜村蔵六の石印のみは聊か他に示すに足る古玩たるに近からん乎。わが家の古玩に乏しきは正に上に記せるが如し。われを目して「骨董好き」と言ふ、誰か掌を拊つて大笑せざらん。唯われは古玩を愛し、古玩のわれをして恍惚たらしむるを知る。売り立ての古玩は価高うして落札すること能はずと雖も、古玩を愛するわが生の豪奢なるを誇るものなり。文章を作り、女人を慕ひ、更に古玩を弄ぶに至る、われ豈君王の楽しみを知らざらんや。旦暮に死するも亦瞑目すと言ふべし。雨後花落ちて啼鳥を聴く。神思殆ど無何有の郷にあるに似たり。即ちペンを走らせて「わが家の古玩」の一文を艸す。若し他日わが家の古玩の目録となるを得ば、幸甚なるべし。
(昭和二年)
〔遺稿〕



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