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まど
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」 筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日
入力者土屋隆
校正者松永正敏
公開 / 更新2007-08-06 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     ――沢木梢氏に――

 おれの家の二階の窓は、丁度向うの家の二階の窓と向ひ合ふやうになつてゐる。
 向うの家の二階の窓には、百合や薔薇の鉢植が行儀よく幾つも並んでゐる。が、その後には黄いろい窓掛が大抵重さうに下つてゐるから、部屋の中の主人の姿は、未だ一度も見た事がない。
 おれの家の二階の窓際には、古ぼけた肱掛椅子が置いてある。おれは毎日その肱掛椅子へ腰を下して、ぼんやり往来の人音を聞いてゐる。
 いつ何時おれの所へも、客が来ないものでもない。おれの家の玄関には、ちやんと電鈴がとりつけてある。今にもあの電鈴の愉快な音が、勢よく家中に鳴り渡つたら、おれはこの肱掛椅子から立上つて、早速遠来の珍客を迎へる為に、両腕を大きくひろげた儘、戸口の方へ歩いて行かう。
 おれは時々こんな空想を浮べながら、ぼんやり往来の人音を聞いてゐる。が、いつまでたつても、おれの所へは訪問に来る客がない。おれの部屋の中には鏡にうつるおれ自身ばかりが、いつもおれの相手を勤めてゐる。
 それが長い長い間の事であつた。
 その内に或夕方、ふとおれが向うの二階の窓を見ると、黄いろい窓掛を後にして、私窩子のやうな女が立つてゐる。どうも見た所では混血児か何からしい。頬紅をさして、目ぶちを黒くぬつて、絹のキモノをひつかけて、細い金の耳環をぶら下げてゐる。それがおれの顔を見ると、媚の多い眼を挙げて、慇懃におれへ会釈をした。
 おれは何年にも人に会つた事がない。おれの部屋の中には、鏡にうつるおれ自身ばかりが、いつもおれの相手を勤めてゐる。だからこの私窩子のやうな女が会釈をした時、おれは相手を卑しむより先に、こちらも眼で笑ひながら、黙礼を返さずにはゐられなかつた。
 それから毎日夕方になると、必ず混血児の女は向うの窓の前へ立つて、下品な嬌態をつくりながら、慇懃におれへ会釈をする。時によると鉢植の薔薇や百合の花を折つて、往来越しにこちらの窓へ投げてよこす事もある。
 するとおれもいつの間にか、古ぼけた肱掛椅子に腰を下して、往来の人音を聞く事が懶いやうになり始めた。いくらおれが待ち暮した所で、客は永久に来ないかも知れない。おれはあまり長い間、鏡にうつるおれ自身の相手を勤めてゐたやうな気がする。もう遠来の客ばかり待つてゐるのは止めにしよう。
 そこであの私窩子のやうな女が会釈をすると、おれの方でも必ず会釈をする。
 それが又長い長い間の事であつた。
 所が或朝、おれの所へ来た手紙を見ると、折角おれを尋ねたが、いくら電鈴の鈕を押しても、誰一人返事をしなかつたから、おれに会ふ事もやむを得ず断念をしたと書いてある。おれは昨夜あの混血児の女が抛りこんだ、薔薇や百合の花を踏みながら、わざわざ玄関まで下りて行つて、電鈴の具合を調べて見た。すると知らない間に電鈴の針金が錆びたせゐか、誰かの悪戯か、二つに途中から切れてゐ…

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