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新緑
しんりょく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「読売新聞」1924(大正13)年5月11日号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-11-15 / 2014-09-18
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




 この頃の新緑の美しさ。私は、毎朝目を醒ますと、先ず庭を観るのが一つの悦びだ。空がよく晴れて、日光がキラキラする梢の鮮かな姿を見るのもたのしいし、又は、今朝のような雨に煙とけ、一層陰翳ふかい緑にしたたる様子を眺めるのも快い。近頃の自然こそ、人間が眠っている暗い夜の間にも巻葉の解かれるサッサッと云う微な戦ぎで天地を充たすようだ。
 雨はやんだらしいが、雲は晴れないと見え、硝子窓の外は真暗闇だ。楓の軟かい葉から葉に伝って落ちる点滴の音がやや憂鬱に響いて来る。夜の闇の濃さが、古歌を思い出させた。
五月闇おぼつかなきに郭公
  山の奥より鳴きていづなり
 この歌調には、何か切なものがある。五月闇おぼつかなき山の奥から鳴いて出づる郭公と共に止み難い何ものかの力を同感しているように思われる。作者は傍観せず、鎌倉の山の木立深い五月闇をおかして鳴き出づる郭公の心になっていると感じるのは私の誤りだろうか、実朝は、切な歌を多く遺した。
 合本になっている順で、新葉集の歌もちょいちょい目にふれたが、私はすきになれそうな気がしなかった。憤り恨みが表に立ちすぎている――技巧の上の問題などではない。あれ等の歌も遺した人々の心の全部を其のような激情が占領していて、花を見ても月を見ても、純粋に花の美しさ月の輝かしさを愛せなかった不幸を、超脱しようとしない心の凝固が、芸術品としての歌に、渾然とした命を与えていないらしい。
 これは、まるで方面は違うが、一寸物ずきで、パンカアスト夫人の自伝をのぞいた。彼女は何と云っても女性文化史の上に特*ある一点を描く人だが、最初に、自分が物心ついてから或る感激を以て聴き記憶した第一の言葉は自由、正義と云う文句だ、と云うような意味を書いている。さて本当に子供の自分が其那ことを明瞭に感じたのだったろうか、と疑って見ようともしないところが、彼女の彼女たるところと、面白く感じた。
〔一九二四年五月〕



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