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父の手帳
ちちのてちょう
作品ID3923
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「中條精一郎」(追悼録)、国民美術協会、1937(昭和12)年1月発行
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-12-03 / 2014-09-18
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 父は建築家の中でも、書斎で勉強するたちの人でなく、人間の住む家を、様々なその必要の条件にしたがって、事務的に、家族的に、趣味的に建ててゆくという現実の進行を愛したたちでした。そういう気質はいかにも設計家にふさわしい特徴をもっていて、西洋の諺に弁護士と作家と建築家の妻にはなるな、とある、そういう几帳面さを、一面にもっていました。
 仕事は事務所で、というのが終生の暮しかたでした。事務所では忙しがっているからというわけか、事務所の仕事に直接関係のある用事のかたが、夜や朝早く、日曜の朝など早く来られると、事務所の用事は事務所で伺うことにしていますからと、おことわり申しました。押しかえし、一寸でよかったらと云われても、譲歩しない。やはり何度でも事務所でと答え、後年は、そういう習慣が世間一般にも少なくなったので、早朝のお客様との押し問答が稀れになりました。
 夕刻事務所から早く帰った日には、皆でテーブルを囲んで夕飯をたべ、後は談笑したり、音楽をきいたり、興に乗じると、昔ロンドンでアーヴィングが演ったハムレットの真似だと云って、芝居の真似をしたり、賑やかでした。喋っても、癇癪を起しても陽性でした。いつも活気があり、流動があり、些の感傷と常套もあって、父は親密な温い父でした。
 私が九つか十位から十年間ばかり、私がまだ父と一緒の家に暮していた間、朝父の出がけの身仕度をするのが私の楽しい任務でした。お洒落ではなかったが、髭は必ず毎朝剃り、カラアは毎朝とりかえ、ホワイト・シャツも一日おき位にとりかえ、そのホワイト・シャツのカフス・ボタンをはめるのが私の役でした。その頃は今のようにソフトをつかわず、西洋洗濯から糊がごわごわについてテラリと艷出しをしたのが運ばれます。そのカフスに、指の跡をつけないよう、ボタン穴のところをくずさないよう、小さい私は目玉に力を入れてボタンをつけかえる。それを着ると父はカラアをつけるのですが、そのカラアも今思うと、よくあのように堅いものを頸のまわりに立てていたとおどろくような堅いのでした。ずっとダブル・カラアをつかい、前をとめるときには、ボタンの頭に、先の尖って柄の長い添えボタンをつかってはめておりました。それからおきまりの七つ道具をわたします。平べったい金時計、その片方の先にナイフがついている、虫眼鏡の度のちがうのがいくつも重って出て来るようになっているもの。紙入、そして一冊の平凡な手帳。ハンカチーフ其他――。
 この手帳こそ、父の生涯を通じての動く書斎であり、秘書のようなものであったと思います。誰かと会見する約束が生じる。すると父はすぐ内ポケットから手帳を出して、それを書きこみます。百合子、あさってひる飯に事務所へ来ないかい? ありがとう、行くわ。そのような内輪のメモにもなり仲通りの何処かで何か陶器の気に入ったのが目につくと、その場所、見つけた日…

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