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故郷の話
こきょうのはなし
作品ID3929
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「文学案内」1937(昭和12)年4月号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-12-06 / 2014-09-18
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 朝夕、早春らしい寒さのゆるみが感じられるようになってきた。
 日本の気候は四季のうつりかわりが、こまやかであるから、冬がすぎて寒いながらも素足のたたみざわりがさわやかに思われて来たりする、微妙な季節の感覚がある。
 文学に季節がはっきり反映しているし、又作家が季節につながった思い出として故郷の春や、故郷の秋景色についてたずねられる場合も、なかなか少くない。
 そういう時、私は自分に故郷と名づけるところがないということをよく感じる。私は東京で生れて、ずっと東京で育ったから、ここが故郷といえばいえよう。けれども、よそに出て暮しているのではないから、例えば、大阪で生れて育った人が現在では東京暮しをしているとか、反対に東京生れの人が大阪にいて、武蔵野の景色を故郷として思いうかべる心持とは大変にちがう。
 外国生活の間には、誰しも自分の生れた国をさまざまの面から深くながめ、理解するものであるが、この場合には面白いことに、日本というものが総括的につかまれて、世界のただ中でそれが感じられるのであるから、その気持も、またいわゆる故郷をおもう気持といささか違った複雑な内容をもっている。
 私の父は山形県の米沢に生れて、少年時代をそこで暮した。父の気質は明く活動的であったから、自分の仕事のあるところを生活の土地として、どちらかといえば故郷を忘れて生活した。それでも老年にはいってから、たべものが変るにつれ、いつとはなし米沢でたべたもの、例えば粒のこまかい納豆だの、納豆もちだのを好んで食べるようになった。
 私は興味をもって、その移りかわりを見ていた。
 故郷をもつ人が、病気などしたり、暮しが不如意になって来たりして、故郷に心をひかれ、空想の中で、ひとしおなつかしく思われる故郷に、やすみや生活のたつきをもとめてゆく人がこの頃のような世の中では数の多いことであろう。
 そのようにして故郷にかえった人の何割が、果して現実の故郷で心に描いていたものをみいだし得ているであろうか。やはり故郷にかえってみても自分はここに生涯を終る人間でないという感じを深めている人が多い。経済的な点からもこのことはきている。
 文学の創造の中で故郷は昔と違った実際の姿でかかれるときがきている。ましてや現在、それぞれの大都会で、或は山間の企業のある場所で生活とたたかっている人々の多くは、すでに故郷を捨てて祖先の墓のある土地から根をきられて、そこへ動いている。
 故郷のない人々の文学が、故郷というものについての新しい文学的要素をかもしつつあるのだと思われる。
〔一九三七年四月〕



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