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寒の梅
かんのうめ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「文芸」1939(昭和14)年3月号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-12-09 / 2014-09-18
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 一月○日
 朝飯をたべて、暫く休んで、入浴してかえって横になっていると、傷の写真をとりますから腹帯はあとになすって下さいということだ。やがて、白い上っぱりを着た写真師が助手をつれて入って来て、ベッドに仰むきに臥ている自分の右側のおなかの傷に向って高いところからアングルをとって写してゆく。もういいのかと思ったら富田さんがいそいで来て、木村先生が御自分でいらっしゃってからおとりになるんだそうですからと云うことだ。若い写真師は廊下で待ちどおしそうにしている。木村先生がひとりで来られ、写真師もまた入って来た。木村先生は粉はないか、何でもいいととりよせた白いこなを傷のところにかけ、この辺からこうずーっと入るようにと指図して、傷に添って小さい物尺をおなかの上に置いた。ホウ、一センチ七ばかりですね。二センチもないじゃないか。御満悦の態である。私も勿論大変うれしい。切ったとき傷は六センチぐらいあったのが、そんなに小さくちぢんだ。癒せるものなら人間の体へは出来るだけ小さく傷をつけるというのが、木村先生のモットウである由。元日に外科では手術室をすっかり片づけて恒例福引をし、今年は木村先生の盲腸の手術、指も入らない、で子供の指環をとった看護婦があったそうだ。
 おなかの丸みで、細い医療用の物尺がうまくおさまっていない。木村先生はベッドの裾の方から廻って窮屈な形に肱をつき、自分で物尺を持ってあてがいながら、ずーっとこの辺入るかね? と些か堅くなっている写真師の手元を熱心に見上げて居られる。自分の仕事にすっかりうちはまって集注的に単純になっている先生の様子はなかなか興味があった。そして共感をそそる味いに溢れている。
○ 午後、建物の内廊下を歩き初め。傷のところをぎゅっと抑えて歩く。それでも胃の方を引っぱるようで気分がわるい。いい加減で中止。
○ バラさん風呂。一人で椅子にかけ、窓の高いところから青い冬空と風にゆられている樹の梢を眺めている。廊下では例によってフランスのお爺さんと毛糸屋さんとが特徴のある年よりらしい甲高声で、何とか何とかネスパ? ああウイウイと話しながら往ったり来たりしている。
 このごろは、体じゅう引き潮加減ながら調和した感じなのだが、まだ時々、肉体の内にのこっている衝撃のようなものが甦って来る。ああ苦しかったなあ、と思う。それにつれて、目の前の宙で何か透き徹って小さいものが実に容赦なくキュッキュッと廻って止った、という感じがする。透明なものは生と死で、切迫した時間のうちにキリキリといくつか廻り、生がこっち向いてぴたッと停った、そんな感じだ。これは異様な、愕きをともなった感覚であって、まるで風の音もきこえない暖い病室で臥たり、笑ったりしている平穏な自分の内部に折々名状しがたい瞬間となって浮び出て来る。やっぱり腹を切るというのは相当のこと也。
○ 手術した晩に、安らか…

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