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藤棚
ふじだな
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「学友会雑誌」誠之小学校、1939(昭和14)年6月16日執筆、掲載月日不詳
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-12-09 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 あちこちに廃墟が出来てから、東京という都会の眺望は随分かわった。小石川の白山から、坂の上にたって、鶏声ケ窪の谷間をみわたすと、段々と低くなってゆく地勢とそこに高低をもって梢を見せている緑の樹木の工合がどこかセザンヌの風景めいた印象をあたえる。巣鴨から来た電車がゆっくり白山を下りて指ケ谷へ出る、その辺で左手の裸の崖を眺めると、くすんだ赤い煉瓦の塀のくずれたところがあったりして、やはり荒廃のうちに一種の美しさが感じられる。この左手の崖の上に、白く大きくコンクリートの建物がのこっているのが遠くからでもよく見えた。そして、そこが西片町の誠之だときくと、わたしは、何だかおどろいて、光る白い建物を眺めやる。大変よく知っている懐しいところの感じと、まるで見知らないよそよそしさの交りあった面白い心持で。――
 わたしたち姉弟が、紺絣の筒袖に小倉の小さい袴をはいた男の児と、リボンをお下げの前髪に結んでメリンスの元禄袖の被布をきた少女で、誠之に通っていたころ、学校はどこもかしこも木造で、毎日数百の子供たちの麻裏草履でかけまわられる廊下も階段も、木目がけばだって埃っぽかった。東片町の通りから入って来ると正面が正門で、入ったところから砂利がしきつめられていた。桜の大木が右手に植っていて、その枝の下に、男児の下駄箱、つまり出入口があった。小使室が続いていて、お弁当の時黒いはっぴを着た小使が両手に三つずつ銅のヤカンをもって来て、教壇の上に並べて置いた。そのお湯は、桜の樹の下の小使室の土間を入った右手にある大釜から大きなひしゃくでくみかえされるのであった。
 正面に表玄関があって、式のある日はその表玄関が左右にひらかれ、紫メリンスの幕がはられた。そういう日には、黒い学校の門の左右の柱に、必ず大きい日の丸の旗が飾られるのであった。
 表玄関を子供たちが出入りするということはなかった。女の児の入口は、左手の、受付と書いてはあるがいつも閉っている小さいガラス戸の横についていて、そこは先生の入口と直角になっていた。先生の入口から入ったところに、長い幅ひろい机をおいた裁縫室があって、窓の下にオルガンがあり、壁に音階表がかけもののように下っていた。裁縫室は音楽室にもなるのであった。田代先生といういつもシングル・カラーをして薄い髭を生やした音楽の先生が、唱歌を教えた。その先生は、冬の寒いとき、子供たちがつい八つくちから手を入れて懐手をしているのをみつけると、そらまた、へそを押えてる! と注意した。上級の女の児は、そう云われることを大変きらった。田代先生は髭のついている口を大きくあけて、男のどら声のような声で、しかし音程は正しく「空も港も夜は更けて」というような単純な歌を教えた。
 その室のとなりに教員室があり、子供たちにとって、教員室というところは、なみなみの思いでは入って行けない別世界であった。一…

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