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田端の汽車そのほか
たばたのきしゃそのほか
作品ID4019
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「婦人」創刊号、1947(昭和22)年7月発行
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-12-23 / 2014-09-18
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 東京に対する空襲ということが段々まじめに考えられるようになってから、うちではよく夕飯後に東京地図をもち出した。その頃もうわたしは目白の家をひきあげて友人がそこに住み、本郷の弟の家に暮しはじめていた。
 弟の一家は三人の子供に夫婦ぎりであるけれども、なかの女の児がひどく弱くて、五歳を越しても歩けず、物云えない病体でいる。その児のためには、防空演習さえも無理であった。防空演習が、防空という実質より、一致精神の鍛錬めいたものとなってからは、そんなに弱い娘の子がいて運搬がむずかしいという実際さえも、何か精神の不一致を意味するように見られて、うちのものは漠然と気味わるがった。田舎に避けて暮す、ということも強制疎開などという言葉が出来なかった時分は、家内の相談という形をとり、しかもそれもひっそりとするような工合であった。東京の市民は東京を死守せよ、一歩も出さない、という風なこわい気風もあったのであった。
 東京地図などが持ち出されるのは、大抵従弟で、戦争を実地に経験して来たような客のある晩であった。
 どうだろうねえ、どう思う? そんなことから、どれ、東京地図あるかい、という調子で地図が出され、その地図を開いてテーブルの上にひろげ、両膝をついて先ずのり出して来るのは九歳の太郎であった。
 従弟のような経験のある人は、地図をひろげて大体重要工業地帯と諸官省の中心地帯とをさした。地図の上で指されるそれらの地区は本郷区のぐるりのどこかに隣接してはいてもうちのある林町界隈までは距っていた。心配は直接本郷あたりが襲撃されることではなくて、思いがけず大規模の被害が生じたときその真中に安全な本郷、またはこの辺が、逃げ場のない袋の中に入ったことになるかもしれないことだ、という風に話された。
 誰の話でも、本郷あたりは何かあっても最後だろうと考えられていた。上からみれば木ばかりみたいなこんなところ! と、憫笑する人もあった。弟嫁は、まるい黒い瞳を見はって、それらの意見をきき、やっぱりそうなのねえ、と日頃良人である弟のことを信用しなおすのであった。
 上落合に半年ばかり住んだことがあった。国民学校の真上の家で、家を見に行ったときは、学校の庭にコンクリートをうっているときで、子供らは一人も外でさわがず、本当に静かだった。そういう事情があると思いもそめず、家賃が手頃なのや一人暮しに快適な間どりの工合やらにひかれて契約した。そして引越したら、二三日で、溌剌騒然たる小学校の賑わいが、別して朗々たるラウド・スピーカアの響きとともに、朝から夕刻まで、崖上に巣をかけた私のしず心を失わした。夜間、青年学校が開かれるようになって遂に苦しさは絶頂に達した。この家は、外部の力で、持てなくなって、友達たちがよりあって、私のいなくなった家を片づけてくれ、私の姿をスケッチした額の下でその家解散の記念写真をとっておい…

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