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大菩薩峠
だいぼさつとうげ
作品ID4060
副題12 伯耆の安綱の巻
12 ほうきのやすつなのまき
著者中里 介山
文字遣い新字新仮名
底本 「大菩薩峠3」 ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年1月24日
入力者(株)モモ
校正者原田頌子
公開 / 更新2001-10-06 / 2014-09-17
長さの目安約 96 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

         一

 これよりさき、竜王の鼻から宇津木兵馬に助けられたお君は、兵馬恋しさの思いで物につかれたように、病み上りの身さえ忘れて、兵馬の後を追うて行きました。
 よし、その言い置いた通り白根の山ふところに入ったにしろ、そこでお君が兵馬に会えようとは思われず、いわんや、その道は、険山峨々として鳥も通わぬところがある。何の用意も計画もなくて分け入ろうとするお君は無分別であります。
 ムク犬は悄々として跟いて行きました。そのさま、恰も主人の物狂わしい挙動を歎くかのようであります。
 丸山の難所にかかった時分に日が暮れると共に、張りつめたお君の気がドッと折れました。
「ムクや、もう疲れてしまって歩けない」
 杉の木の下へ倒れると、ムクもその傍に足を折って身を横たえました。
 ムク犬が烈しく吠え出したのはその暁方のことでありました。お君はそのムク犬の烈しい吠え声にさえ破られないほどに昏睡状態の夢を結んでいたのであります。
 ムクの吠える声は、快く眠っているお君の耳には入りませんでしたけれど、幸いにそこを通り合せた馬商人の耳に入りました。
 まだ若い丈夫そうな馬商人は、小馬を三頭ひっぱって、奈良田の方からここへ来かかりましたが、この暁方、この人足の絶えたところで、犬のしきりに吠えるのが気になります。
「おやおや、この娘さんが危ない、こりゃ病気上りで無理な旅をしたものだ」
 この若い馬商人は心得てお君の身体を揉み、懐中から薬などを出してお君に含ませ、
「おい姉さん、しっかりしなさいよ、眠るといかんよ、眠らんで眼を大きくあいておらなくてはいかんよ、わしはこれから有野村の馬大尽へ行くのだが……」
 ほどなくお君はこの馬商人に助けられ馬に乗せられて、有野村の馬大尽というのまで連れて来られました。
 馬大尽の家の前まで来て見るとお君は、その家屋敷の宏大なのに驚かないわけにはゆきません。
 甲州一番の百姓は米村八右衛門というので、それが四千五百石持ちということであります。和泉作というのは東郡内で千石の田畑を持っているということであります。この馬大尽はもっと昔からの大尽でありました。
 甲州の上古は馬の名産地であります。聖徳太子の愛馬が出たというところから黒駒の名がある。その他、鳳凰山、駒ヶ岳あたりも馬の産地から起った名であります。御勅使川の北の方には駒場村というのがあります。この有野村は、もと「馬相野」と言ったものだそうです。お君が来て見た時、屋敷の近いところにある広い原ッぱや、眼に触れたところの厩を見てもちょっとには数えきれないほどの馬がいました。なるほどこれは馬大尽に違いないと思いました。
 それのみか、門を入ってからまるで森の中へ入って行くように、何千年何百年というような立木であります。
「一品式部卿葛原親王様の時分からの馬大尽だ」
と馬商人がお君に言って聞かせ…

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