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二黒の巳
じこくのみ
作品ID4070
著者平出 修
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 平出修集」 春秋社
1965(昭和40)年6月15日
入力者林幸雄
校正者松永正敏
公開 / 更新2003-06-26 / 2014-09-17
長さの目安約 32 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 種田君と一しよに梅見に行つて大森から歩いて来て、疲れた体を休ませたのが「桔梗」と云ふお茶屋であつた。
「遊ばせてくれますか、」と種田君はいつもの間延な調子で云つたあとで、「エヘツヘヘ」と可笑しくもないのに笑ふと云つた風に軽く笑つた。私は洋服であつたが、種田君は其頃紳士仲間に流行つた黒の繻子目のマントを着て、舶来の鼠の中折帽を被つて居た。
「いらつしやいまし、」と云つて上るとすぐ階子段を自分から先に立つて、二階へ案内したのが、お糸さんであつた。色の浅黒い、中高な、右の頬の黒子が目にたつ、お糸さんは佳い女の方ではなかつた。すぐれて愛想のよいと云ふ程でもなかつた。それでも私達は其夜からお糸さんが好きになつた。月に一度や二度は屹度遊びに行つた。種田君はもう四十を越して居た。私だつて無責任の学生ではなかつた。宿場女郎のさびれた色香にひかされて通ふ身の上でもなかつた。仕事で疲れた頭を休ませに、少し風の変つた処へ遊び場をさがしにあるいてた私達には、お糸さんの内が最も適当であつた。品川に気のいいお茶屋があると云つては、いろいろの友達にも紹介した。松田君も行つた。宮川君も行つた。骨牌の好きな、そしていつでも負ける草香君も行つた。お糸さんはすぐ是等の人人にもお気に入りになつた。「桔棟」へ行つて遊ばうか。二三人種田君の銀座の事務所に集まるとすぐ相談は決まるのであつた。日の暮れを待たずに行くこともあつた。今夜の費用を出さうと云つては奢り花などを引いた。料理代を賭て碁をうつこともあつた。お糸さんの内では別に芸者家をも開いて居た。おもちやと云ふお酌がまた私達のひいきであつた。其頃は十四であつたかと思ふ。円顔のむつちりとした可愛らしい子で、額付が今の菊五郎に似て居たので、おとはやおとはやと呼んで居た。おとはやと云はれると嬉しがつてよく私達の云ふ事をきいて、骨牌のお掃除や碁石の出し入れをしてくれた。
「もうあちらへ行きませうよ。」六時がすぎるとお糸さんはいつも催促した。六時を境にして昼夜の花に為切がつく、お糸さんは決して六時前にはあちらへ案内をしなかつた。客にむだなおあしを使はせないやうに考へてるからである。そんなことが私達の気に入るのであつたかもしれない。
「今日は此処でくらすんだ。」私はかう云つて動かないことがある。するとお糸さんはせきたてる。
「いけませんよ、待つてるぢやありませんか。」
「誰が誰をさ。」
「誰でせう。」
「だが、じつにもてないね。」
「御じやうだんばつかし。貴方方にそんなことがあるもんですか。みんなが大騒ぎですよ。」こんなことをお糸さんは云ふけれど、花魁の口上だと云つていい加減なこしらヘごとを客に耳打すると云ふ、そんな人の悪いことは、お糸さんは決してしなかつた。
「どう云ふんだらうとお糸さんに聞くのもをかしいが、じつさい愛想のない女だね、」と私が真面目顔に云へば、…

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