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エミイル・ゾラの文学方法論
エミイル・ゾラのぶんがくほうほうろん
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「平林初之輔文藝評論全集 上巻」 文泉堂書店
1975(昭和50)年5月1日
入力者田中亨吾
校正者松永正敏
公開 / 更新2004-07-18 / 2014-09-18
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 文学の方法論的研究が、近頃やうやく一部の人々の注意を、惹くやうになつて来た。このことは相当長期に亘る停滞時代を経てきた文学批評界に、恐らく劃時代的の活発な論議をまき起すやうになるだらう。片上伸氏は、既に二回までもこの問題について論議された。私はまだ遺憾ながら同氏の論文を読んでゐないが、伝へ聞くところによると同氏の論文は、マルクス主義的、即ち弁証法的唯物論の立場からなされた、堂々たる述作であるといふことである。
 私も「社会問題講座」の一講座で、簡単にこの問題を論じたことがある。けれども、実を言へば、私は、この問題で独自の体系を述べるやうな程度の研究はまだ積んでゐないし、従つて、何等自信のない研究を急いで発表することは躊躇する。私はたゞ、種々の理由によりて、文芸作品は科学的研究の対象になり得るものであるといふこと、換言すれば文芸学(Literaturwissenschaft, Science of Literature[#「Literature」は底本では「Iiterature」])なるものが存在し得ること、そして、さういふ方面への研究が、今後の文芸批評家の重要な一つの任務であることを信ずるのみである。
 文芸作品を享楽し、鑑賞することのみが批評家の任務であると考へる人は、園芸家のほかに植物学者のあることを知らぬ人である。否園芸家にでも、通俗な植物学の知識は必要である。それがなければ花をたのしむことすら十分にできはしない。花が植物の生殖の器官であることを知つたゝめに花の美しさは減殺されるどころではなくて、却つて、そこに造花の至妙を私たちは感得して驚歎するであらう。
 ハクスレーが、アルプス山は地殻の冷却による収縮によりて生じたものであるといふ地質学の真理は、アルプス山に対する登山者の崇高の念を少しも減殺するものでないと言つたのは至言である。
 文学に就いてもそれと同じであつて、私たちは、文学作品を享楽し、鑑賞することはできるが、そのほかに、それが発生する根拠、それが進化してゆく様態を、科学的に研究し、理解しようと努力することも決して排斥すべきことではなくて、むしろ、その方が重要な位である。ところが最近では、さういふ方面の研究に一歩でもはいらうとすると、彼れは文学がわからないのだときめられてしまうのである。
 勿論鑑賞的批評も重要であるし、それも今の日本にはかけてゐる。私は、みだりに過去を追慕する人にはくみしない。過去は、個人について言つても、どんなに苦しい、醜い過去でも、たゞ過去であるがためになつかしまれるものである。過去を考へる場合ほど、私たちに冷静な厳正な判断の必要であることはない。それにもかゝはらず、私は、最近の批評が一向進歩してゐないといふ説、むしろ退歩してゐるといふ説には一面の真理があることを否定し得ないのである。
 こゝでは、私は専ら、文学の方法…

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