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天鵞絨
びろうど
作品ID4103
著者石川 啄木
文字遣い旧字旧仮名
底本 「石川啄木作品集 第二巻」 昭和出版社
1970(昭和45)年11月20日
入力者Nana ohbe
校正者松永正敏
公開 / 更新2003-04-04 / 2014-09-17
長さの目安約 69 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 理髮師の源助さんが四年振で來たといふ噂が、何か重大な事件でも起つた樣に、口から口に傳へられて、其午後のうちに村中に響き渡つた。
 村といつても狹いもの。盛岡から青森へ、北上川に縺れて逶[#挿絵]と北に走つた、坦々たる其一等道路(と村人が呼ぶ)の、五六町並木の松が斷絶えて、兩側から傾き合つた茅葺勝の家並の數が、唯九十何戸しか無いのである。村役場と駐在所が中央程に向合つてゐて、役場の隣が作右衞門店、萬荒物から酢醤油石油莨、罎詰の酒もあれば、前掛半襟にする布帛もある。箸で斷れぬ程堅い豆腐も賣る。其隣の郵便局には、此村に唯一つの軒燈がついてるけれども、毎晩點火る譯ではない。
 お定がまだ少かつた頃は、此村に理髮店といふものが無かつた。村の人達が其頃、頭の始末を奈何してゐたものか、今になつて考へると、隨分不便な思をしたものであらう。それが、九歳か十歳の時、大地主の白井樣が盛岡から理髮師を一人お呼びなさるといふ噂が恰も今度源助さんが四年振で來たといふ噂の如く、異樣な驚愕を以て村中に傳つた。間もなく、とある空地に梨箱の樣な小さい家が一軒建てられて、其家が漸々壁塗を濟ませた許りの處へ、三十恰好の、背の低い、色の黒い理髮師が遣つて來た。頗るの淡白者で、上方辯の滑かな、話巧者の、何日見てもお愛想が好いところから、間もなく村中の人の氣に入つて了つた。それが即ち源助さんであつた。
 源助さんには、お内儀さんもあれば息子もあるといふ事であつたが、來たのは自分一人。愈々開業となつてからは、其店の大きい姿見が、村中の子供等の好奇心を刺戟したもので、お定もよく同年輩の遊び仲間と一緒に行つて、見た事もない白い瀬戸の把手を上に捻り下に捻り、辛と少許入口の扉を開けては、種々な道具の整然と列べられた室の中を覗いたものだ。少し開けた扉が、誰の力ともなく、何時の間にか身體の通るだけ開くと、田舍の子供といふものは因循なもので、盜みでもする樣に怖な怯り、二寸三寸と物も言はず中に入つて行つて、交代に其姿見を覗く。訝な事には、少し離れて寫すと、顏が長くなつたり、扁くなつたり、目も鼻も歪んで見えるのであつたが、お定は幼心に、これは鏡が餘り大き過ぎるからだと考へてゐたものだ。
 月に三度の一の日を除いては、(此日には源助さんが白井樣へ上つて、お家中の人の髮を刈つたり顔を剃つたりするので、)大抵村の人が三人四人、源助さんの許で莨を喫しながら世間話をしてゐぬ事はなかつた。一年程經つてから、白井樣の番頭を勤めてゐた人の息子で、薄野呂なところからノロ勘と綽名された、十六の勘之助といふのが、源助さんに弟子入をした。それからといふものは、今迄近づき兼ねてゐた子供等まで、理髮店の店を遊場にして、暇な時にはよく太閤記や、義經や蒸汽船や加藤清正の譚を聞かして貰つたものだ。源助さんが居ない時には、ノロ勘が錢函から銅貨を盜み出…

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