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作者の言葉(『貧しき人々の群』)
さくしゃのことば(『まずしきひとびとのむれ』)
作品ID4121
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十八巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年5月30日
初出「貧しき人々の群」新興出版社、1947(昭和22)年6月
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2004-04-15 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「貧しき人々の群」は一九一六年、十八歳の秋に発表された。書きはじめたのは、一年ばかり前のことであった。福島県のある村に祖母が住んでいて、孫のわたしは五つぐらいのときからちょいちょいその東北の村で生活をした。少し大きい小学生となってからは、ひとりで夏休みじゅう、おばあさんのところで暮した。その村の年よりたち、牛や馬、犬、子供たち、ばかの乞食、気味のわるい半分乞食のようなばあさん、それらの人々の生活は、山々の眺望や雑木林の中に生えるきのことともに、繭が鍋の中で煮えている匂いとともにわたしの少女時代の感覚の中に活々と存在していた。
 段々トルストイの小説をよむようになり、「コサック」や「ハジ・ムラート」に感動した。深いその感動は、自分のうけている村の自然と人間の生活の姿を強烈にわたしの心に甦らし、それを描き出したいこころもちにみたした。そこで、書き出したのがこの小説であった。小説らしい形にまとまった最初の作品であった。一九一六年の夏のはじめに書き終ったが、誰に見せようとも思わず、ひとりで綴じて、木炭紙に自分で色彩を加えた表紙をつけた。けれども、しまっておけなくて、女学校のときからやはり文学がすきで仲よしであった坂本千枝子さんという友達が、白山の奥に住んでいた、そこへもって行ってよんで貰った。その友達は心からよろこんでほめてくれた。次に、母にみせた。丁度、夜で、もう母は小さい弟と床の中にいた。そこへもって行って、よんでおいて、と云った。一二時間たって、もう自分がねようとしていたら、わたしが机を置いていた玄関わきの小部屋へ母が入って来た。母は感動していた。そして、涙をおとした。
「農民」という題をつけて書いたその小説は、やがて父が紹介者をもっていたという関係から私の知らないうちに坪内雄蔵氏のところへ送られた。そして、中央公論に紹介され、そこに発表されることにきまった。坪内雄蔵氏の注意で、二百何十枚かあったところを百五十枚ほどに整理し、かなづかいや字のあやまりを訂正した。題をそのとき「貧しき人々の群」とつけ直した。
 今日よみかえしてみると、「貧しき人々の群」はいかにも十八歳の少女の作品らしい稚なさ、不器用さにみちている。けれども、何とまたその年ごろの感覚でしか描き出せないみずみずしさに溢れているだろう。すべての穢らしさが、現実的につよく作品の中に描かれているが、その穢なささえ、よごれた少年の顔のようにやっぱりその地は、人生のよろこびで輝やいている。ロマンティックな情感とともにリアリスティックに、成長的に現実にふれてゆこうとしている幼い作者の努力をくみとることが出来る。
 この作品は、作者が年若い少女であったことと、その少女の生活環境にあわして社会的に積極的な取材であったこと、単純だが濁りのない人間感動などによって、その時代の文学に一つの話題となった。しかし、このことは…

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