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あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)
あとがき(『みやもとゆりこせんしゅう』だいじっかん)
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十八巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年5月30日
初出「宮本百合子選集 第十巻」安芸書房、1949(昭和24)年8月
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2004-04-19 / 2014-09-18
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 一九三〇年の暮にソヴェト同盟から帰って来て、翌年「ナップ」へ参加するまで、わたしは評論、紹介めいたものを書いたことがなかった。また、人の前に立って、文学についてそのほかの話をしたという経験もない。そして、それを自分の気質と思っていた。
 ところが、この枠はまず思いがけない機会からモスクワで打ち破られ、段々わたしは自分の文学活動の範囲に、小説よりほかのものをうけ入れるようになって行った。わたしの場合、それはあきらかに作家としての社会性の拡大であり、また進歩的な文学者の良心的義務の一つであるという自覚であった。
 一九三一年、一月号の『ナップ』に「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」をかきはじめてから、わたしの評論的活動がはじまった。
 選集第十巻に収められている文学評論は、一九三一年から三六年(昭和六年――十一年)ごろまでの間にかかれたものである。その一つ一つを、こんにちわたしたちが民主主義文学運動のなかにもっている諸問題とてらしあわせてよむとき、深い興味があるばかりでなく、むしろ駭然とさせられるところがある。この一巻に集められている二十数篇の評論、批評は、理論的に完成されていない部分や、展開の不十分な面をふくんでいるにもしろ、日本の人民階級の文学、人間解放のため文学がもっている基本課題をとりあげ、それを正当に推進させようとする努力において、ちっとも古びていないばかりか、民主主義文学の時代に入ってからこと新しく揉まれて来ている階級性の問題、主体性の問題、社会主義的リアリズムの問題、文学と政治の問題などが、これらのプロレタリア文学運動の末期の評論のうちに、その本質はつかみ出されているということを再発見する。
 この事実は、わたし一個人の達成としてとりあげられるのではない。日本でプロレタリア文学運動がこんにちのわたしたちの活動のために基礎づけたものの積極面が、はっきりくみとれるという意味なのである。
 一九三六、七年以後から十年の歳月は、日本の人民とその文学にとって、野蛮と死の期間であった。
 実に、この十年の空白の傷は大きく深い。そして、こんにち商業新聞の頁の上に、昭和初頭と同じように講談社、主婦之友出版雑誌の大広告を見るとき、この評論集におさめられている「婦人雑誌の問題」の本質が、更に複雑な隷属の要因を加えて、わたしたちのこんにちの文化問題であることを知る。「今日の文化の諸問題」をふくめて。
 一九三一年七月中央公論のためにかかれた「文芸時評」は、全篇がその五月にもたれた「ナップ」第三回大会報告となっている。中央公論の編輯者ばかりでなく、多くの人が、その素朴さにおどろいた。わたしはそんなに人におどろかれるわたしの素朴さというものがわからなかった。そんなユーモラスな一つの記録も、こんにちよめば、制服の警官が臨監して、中止! 中止! と叫ぶ場内の光景はいきいきと目にうか…

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